いつくしみと愛をもって事を成し遂げて。私たちに

わたしが事を行う日に、
彼らはわたしのものとなる。
人が自分に仕える子をあわれむように、わ
たしは彼らを憐れむ。
マラキ書3:17

 

神は、
御心の良しとするところにしたがって、
私たちを
イエス・キリストによって
ご自分の子にしようと、
愛をもって
あらかじめ定めておられました。
エフェソ書1:5

 

 ガラテヤ書6:1~5
 使徒13:44~52(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々聖句』6/28;月)

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』と名乗られる方エジ(出プト3:14)は、
私たちすべての人間を憐れみ、
ご自分の子にしようと思って
事を起こしていてくださる方なのですね。

 

 【御子である神】がその栄光の座をあとにして、
人間イエスとなって人の世に来てくださり、
およそ33歳の頃、私たちすべての人間の背き、
「的外れ」の責任をご自身の身に負って
十字架刑での処刑を受けてくださって。
 

「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっている者、死んだ者としてくださって。

 

そして、墓に納められて三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し
、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

その10日後のペンテコステ(五旬節:シナイ山モーセを通して律法が与えられ、神の民となる契約が結ばれたその記念日)に、
新しい契約の成就として(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)、
約束の(【聖である霊】と呼ばれる方が、
待ち望んでいた弟子たち120人ばかりの一人ひとりに来られ、
弟子たちは、この方、【聖である霊】と呼ばれる方が
心に置いてくださる【父である神】の御思いのとおりに
話すようになったのだそうです。(使徒2:1~42)
 

神の子の実質である【父である神】と思いを一つにし、
神がしようと思われることをしていく者と。

 

 だれかが過ちに陥っていたなら、
【聖である霊】と呼ばれる方の御思いにしたがって、
柔和な心で正してあげ、
自分自身も誘惑に陥らないよう気をつけて。

 

互いに重荷を負い合い、
自分が何者かであるかのように思う思いも、
神の御前に差し出し、受け取っていただきながら。(ガラテヤ6:1~5)

 

 この、イエスによる救いのうれしい知らせは、
まず、神の民であるユダヤ人に知らされたのですが、
律法による自分の義を追い求めていた彼らには、
恵みによるイエスの救いが理解できず、
これに反対し、拒否してしまったのですね。

 

それで、イエスによる恵みの救いは、
ユダヤ人の枠を超えて
私たち異邦人に伝えられることになりました。(使徒13:44~52)

 

 私たちも、イエスによる神の恵みの中で、
いよいよ、喜びと聖霊に満たされながら。

今日も。

 

 

 ~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、

また、婚活で広く出会いを求めたい

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

〈クリスチャンの結婚相談所

 <b>Lita</b>&nbsp;marriage service&nbsp;

〈復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]