できないままで、イエスについて行って

主の慈しみは私たちに力強く、
主のまことは
とこしえに絶えることがない。
ハレルヤ。
詩篇117:2

 

私たちの
イエス・キリストの父なる神、
慈しみ深い父、慰めに満ちた神が
ほめたたえられますように。
Ⅱコリント1:3

 

 マタイ19:16~26
 ロマ書9:6~13(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/15;水)


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 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)。
この方は、慈しみ深く、まことなる方、
慰めに満ちた方なのですね。
それで私たちはこの方をほめたたえます。

 

 

 イエスのところに一人の青年が来て言いました。

「先生。永遠のいのちを得るためには、
どんな良いことをすればよいのでしょうか。」

 

エスは彼に言われた。
「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。
良い方はお一人です。
いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」

 

彼は「どの戒めですか。」と言った。
そこでイエスは答えられた。
「殺してはならない。姦淫してはならない。
盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。
父と母を敬え。
あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
 

その青年はイエスに言った。
「私はそれらのすべてを守ってきました。
何がまだ欠けているのでしょうか。」

エスは彼に言われた。
「完全になりたいのなら、
帰って、あなたの財産を売り払って、
貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば、あなたは天に宝をもつことになります。
そのうえで、わたしに従って来なさい。」

 

青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。
多くの財産を持っていたからである。

 

そこで、イエスは弟子たちに言われた。
「まことに、なたががたに言います。
金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。
もう一度あなたがたに言います。
金持ちが神の国に入るよりは、
らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
 

弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。
「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
エスは彼らをじっと見つめて言われた。
「それは人にはできないことですが、
神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:16~26)

 

 

 この青年に欠けていたもの。
それは、自分には、神が思われているようには
できない者だと認めることだったのでしょうね。
エスは、それを分からせるために青年の弱点を突かれ、
財産を売り払って、貧しい人たちに与えなさい」
と言われた。

だから、悲しみながら去って行くのではなく、
悲しみながらイエスについて行けばよかったのでしょうね。

天の神、【主】は、慈しみ深く、慰めに満ちた方なのですから。

 

 

私たちも、心から神を愛することも、
隣人を愛することもできない者であることを認めて、
エスによる身代わりの死をいただき、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって心に
【父である神】の御思いを置いていただき、う
ちに【父である神】の御思いがあるようにしていただいて、
【父である神】と思いを一つにしながら生きるのですね。

今日も。

 

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