悪を善、善を悪としてしまう私たちなのですが
災いだ、悪を善、善を悪という者たち、
闇から光を造り、
光から闇をつくる者たち。イザヤ書5:20
このためにあなたたちは召されました。
キリストも
あなたたちのために苦しみを受け、
あなたたちが従うべき足跡を
模範として残されました。
この方は罪を犯さず、口には
偽りはありませんでした。Ⅰペトロ2:21~22
Ⅰヨハネ3:19~24
ルカ16:14~18(通読箇所)
(ローズンゲン『日々の聖句』11/5;金)
―――― ☆ ――――
私たち、「神のひとりのようになって、
善悪を知るようになった者」は、
自分の善悪の判断によって、悪を善、善を悪とし、
闇を光といい、光を闇としていく者なのですね。
ペテロは言います。
「もし、だれかが不当な苦しみを受けながら、
神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、
それは神に喜ばれることです。
善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、
それは神に喜ばれることです。
このためにこそ、あなたがたは召されました。
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、
その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。
キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
ののしられてもののしり返さず、
苦しめられても脅すことをせず、
正しく裁く方にお任せになった。
キリストは自ら十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われた。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。
その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。」
ヨハネは言います。
「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけでなく、
行いと真実をもって愛しましょう。
そうすることによって、
私たちは自分が真理に属していることを知り、
神の御前に心安らかでいられます。
たとえ自分の心が責めたとしても、安らかでいられます。
神は私たちの心よりも大きな方であり、
すべてをご存じだからです。
愛する者たち。自分の心が責めないなら、
私たちは神の御前に確信を持つことができます。
そして、求めるものを何でも神からいただくことができます。
私たちが神の命令を守り、
神に喜ばれることを行っているからです。
私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、
キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、
それが神の命令です。神の命令を守る者は神のうちにとどまり、神もまた、その人のうちにとどまります。
神が私たちのうちにとどまっておられることは、
神が私たちに与えてくださった御霊によって
分かります。」(Ⅰペテロ3:18~24)
私たちは、人々の前で自分を正しいとする者です。
しかし、神は私たちの心をご存じなのですね。(ルカ16:15)
そして、御子である神、イエスが
ご自分から私たちの罪をその身に負ってくださって
十字架刑での処刑を受けてくださいました。
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来られる道となって。
この【聖である霊】と呼ばれる方が私たちのうちに
とどまっていてくださって、私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださるので、
私たちのうちにも、【父である神】の愛の御思い、
闇を闇とし、光を光として、
互いに愛し合う思いもあるようにしてくださるのだそうですから。
今日も。
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