思いを共有することでもあるのでしょうか。交わりとは。

主のなさった大いなる御業をすべて、
あなたたちは自分の目で見てきた。
申命記11:7

 私たちが見、また聞いたことを、
あなたがたにも伝えるのは、

あなたがたも
私たちとの交わりを持つようになるためです
。Ⅰヨハネ1:3

         (ローズンゲン日々の聖句7/8;水)

 「交わり」という言葉には、「共通部分」という意味もあるようです
「一つのものを共に持つこと」でもあるのでしょうか。

 モーセは、イスラエルの民の共通部分として、
天の神、主が、イスラエルをエジプトから連れ出される時
行われた大いなる御業、
また、エジプトを出てからの荒野での40年の旅路において
なされた大いなる御業を目撃した
その共通体験を上げているようです。

 そして、それから1500年後のイエスの使徒ヨハネは、
私たちの共通部分として、
イエスという人物をとおして私たち人間に現された
天の神、主の御思いを上げているようです。

 それは、天地が創造される前からあったものであり、
ヨハネたち、3年半をイエスとともに過ごした者たちが
自分の耳で聞いたもの、
じっと見、手で触ったもの、なのだそうです。
つまり、人間の思索の産物ではなく、
事実として体験したものだということのようですね。

 その体験とは、
いのちのことば、永遠のいのちと言われているものであり、
イエスという人物をとおして語りかけられている、
天の神、主の御思いであり、
その御思いを、私たちの、
またさらには、天の神、主、
御父と呼ばれる方、御子である神と呼ばれる方と
私たち一人一人との共通部分として
体験して知るということのようです。

 イエスの使徒、ヨハネは、私たちとの
そのような共通部分になるようにと、
イエスに関わる喜ばしい知らせを証言し、伝えると
言っているようですね(Ⅰヨハネ1:1~4)。

 「主は生きておられる。」
 主は、生きておられ、私たちに対して、
私たちをとおして、働いておられる方、
私たちも、聞き、じっと見、また手で触れられる方、
のようですね。
今日も。

 

 

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