同じ思いを思い合う間柄にしていただけるのだそうですよ。あの方と

私たちの思いに来るのだそうです。あの方の御思いが - 菅佐知男のブログ - Yahoo!ブログ

主は

わたしの嘆きを

聞き、

わたしの祈りを

受け入れて下さる。

詩編6:10

 

目を覚まして

感謝を込め、

ひたすら

祈りなさい。

コロサイ書4:2

   

 (ローズンゲン日々の聖句8/20;水)

...

あの方は、

いつも、

いつまでも

私たちと一緒にいようと

思って下さるのだそうです。

それで、

嘆きの声、泣く声を、

「帰って来てください」との

あの方への切なる願いを

私のうちに置かれ、

祈り願わせてくださるのだそうです。

 

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして

あなたの神、主を

愛しなさ」

(申命記6:5)

と外側から教えられても、

心はそれに伴わない私たち

善悪を知る者になった人間。

自分があの方々のひとりのようになろうとし

(創世記3:22)、

あの方を無視して、

自分一人で

善悪の決定をし、

その思いを押し通し、

他を従わせようとする者。

自分一人が頂点に立ち

(イザヤ14:14)、

他を顧みようとしない

私たちの本性。

 「心の一新によって自分を変えなさい。」

(ロマ12:2)

外側からの戒め、教えでは

変わりようのない者も、

心が変われば

変わることができるのですね。

心の思いは、

霊から来るのですから、

霊を取り替えれば

心の思いは変わります。
 

それで、

あの方は、

まず、

独り子である方を

人間イエスとして人の世に生まれさせ、

この方が33歳の頃、

私たち人間の背きの罪のすべてを

この方の上に置いて

この方を

十字架刑で処刑し、

私たちの生まれた時からの霊を

処刑されたものとする手続きを

完了して下さったのだそうです。
 

そのうえで、

もう一人の方、

聖である霊と呼ばれる方を

私たちのうちに派遣して、

この方によって

私たちが

新しい心で

生きるようにして下さった。

 

イエスがそうであったように

(ヨハネ14:10)、

私たちにも

うちに住まわれる聖である霊と呼ばれる方が

私たちの心に

父である方の御思いを置いて下さるのだそうです。

父である方と同じ思い、

父である方が

私をとおしてしようと思われる思いと同じ思いが

私の心の中にも

来るのだそうです。
 

今までの

生まれた時からの私という霊かる来る思いは

死んでしまった者からの思いと

計算して

(ロマ6:11)、

聖である霊から来る思いを

私の思いとして

生きていく

新しい生き方が始まるのだそうです。

 

目をさまし、

この方との関係を

はっきり意識しながら、

この方から

私の心に来る思いを

私の願いとして

祈っていく者に

していただけるのですね。

今日も。

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