自分の行いによる義を打ち立てて、自分を誇る場を残しておきたいのですね。わたしたち

なぜ、

わたしと争い、

 

わたしに

背き続けるのか、

主は言われる。

エレミヤ書2:29
 

 

 

あなたがたは、

よく

走っていました。

 

それなのに、

いったい

だれが邪魔をして

 

真理に

従わないように

させたのですか。

ガラテヤ書5:7
    

 

(ローズンゲン日々の聖句7/19;土)

 

 

 

自分の善悪の判断を

あの方よりも優先する私たち、

 

あの方の嘆きの声も

心に届かないのでしょうか。


 

善悪を知る者となっている

「生まれた時からの私」という霊から来る

思いは、

 

あの方の

恵みによる救いを

いただいた後も、

 

自分の義の業を

足掛かりにしたくって、

 

自分の誇りを

打ち立てたくって、

 

あの方からの

恵みをいただくだけでは

足りないとして、

 

自分の行いによる義を

付け加えようとするのですね。


 

ですから、

その思いが出て来るたびに、

それは

十字架刑で処刑された私から

出て来たものと

認めて、

 

「聖である霊」と呼ばれる方から

来る、

あの方の思いに

ついて行くといいのだそうです。


 

あの方の、

幸せにするという

私たちに対するご計画が

実現していくことになるのだそうですから。

 

今日も。


 

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