自分は自分、相手は相手のままで喜んでおれるようにして下さるのだそうです。あの方。

相手に損害を与えてはならない。
あなたの神主を畏れなさい。レビ記25:17

 

 

 

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、
へりくだって、
互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい。フィリピ2:3

 


            (ローズンゲン日々の聖句4/13;月)

 

 

 

 完全な愛は、相手の思うことを尊重し、それが成ることを願っていくもののようですね。

 人間、生まれたときからの私という霊から出る愛は、自分を相手よりも優れた者とし、相手は自分の思いのとおりにするのが最善だとして、情に絡めて、なんとかして相手を自分の思ったとおりに従わせようとするものなのだそうです。

 


 天の神、主が、
イエスを十字架刑で処刑して、私たちに提供していて下さる、
 生まれたときからの私という霊の死を受け取り、
 生まれたときからの私という霊から来る思いを
死んでしまっている者から来る思いであると認め、
そのように計算(帳簿付け)して、
 天に帰られ、 父と呼ばれている方の右の座に着かれたイエスが派遣してくださる、
 聖である霊と呼ばれる方をお迎えするとき、
その方が私たちの心に、
 父である方の御思いを書き付けてくださるのだそうです。

 


 それで、私たちの心にも天の神、主の御思いが来て、
 買い取ったものをある期間自分のものとして使った後は、
それを元の持ち主に返したり、解放することを喜びとする思いが来るようにもなるようです(レビ25章)。

 


  自分をなにか立派な、優れた者であるかのように背のびする思いに従うよりも、
ありのままの自分でいることのほうが嬉しくなり、
 相手の自分よりも優れた点はそのまま認めて、
 天の神、主がそれぞれに与えて下さっている個性を喜んでいける心になるようです。

 


 どんな思いが、聖である霊と呼ばれる方によって私の心に来るのか、
 楽しみにしていきたいものですね。
 今日も。


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