家族にしていただいている証明書を出して下さるのですね。私たちにも

私たちは皆、キリストの裁きの座の前に立たなければなりません。Ⅱコリント5:10

 

 

ヨブは主に言った。「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。」ヨブ記42:5~6

 

 

神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。黙示録22:3~4

 

   (ローズンゲン日々の聖句11/16;日)

 

 

私たちはみな、キリストの裁きの座の前に立ち、そこで、おのおの自分の行いに応じて、正しい、公正な裁判を受けることになるのだそうです。

自分の理性による善悪の判断を押し通し、創造主に対して、この方を無視し、反逆を重ねて来ている者をも、天の父と呼ばれる方は惜しんで下さって、救いの道を拓いていて下さったのだそうです。御子である方を人間イエスとして人の世に生まれさせ、この方がおよそ33歳のころ、私たちの罪のすべてをこの方の上に置いて、この方を十字架刑において死刑を執行し、私たちを処刑が終わったものとする手続きを完了し、私たちを償いが終わったものとみなして下さるのだそうです。

そのうえで、子の身分を与える霊を私たちの内に派遣して下さって、私たちを子とし、家族として受け入れて下さるのだそうです。

このプレゼントを受け取った者は、天の父と呼ばれる方の家族として額にその方の名が記されるのですね。

私たち、この方の家族としていただき、自分一人での理性の判断を退け、家族として、父となって下さった方と何でも相談しながらやって行くようになるのだそうです。

今日も。

 

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