誰かと一緒におれる喜び、いつでも、どんなことでも明し合える喜びってあるのでしょうね。

人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。
それにもまさる喜びを、私の心にお与えください。
詩編4:8
 
 パウロの手紙:
私は、自分のおかれた境遇に

満足することを習い覚えたのです。フィリピ書4:11
 
        (ローズンゲン日々の聖句6/23;火)
 
 食料を豊かに得た喜びにもまさる喜び、どんな境遇でも消えないその喜びがあると、
どんな境遇になっても満足することができるのでしょうか。
 使徒パウロは、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っており、
飽くことにもことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていると言っています。
 
 私たちも、私たちと一緒にいて下さる方は、
どんなことでもできる方なのだそうです(フィリピ4:11~13)。
 
 すべてのこと、その一つ一つが、良いことも悪いことも、
天の神、主との語らいの種、話題に出来、
事が多ければ多いだけ、話題は尽きないのだそうですから。
今日も。
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