心配し、心を痛めていた分、帰って来たときの喜びは大きいのでしょうね。

いかに幸いなことでしょう、

主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。詩編32:2

 

 

 イエスの言葉:

悔い改める一人の罪人については、

 悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも

   大きな喜びが天にある。ルカ15:7

 

      (ローズンゲン日々の聖句11/7;金)

 

 

 自分の実体を認め、言い表す者は幸いなのだそうです。...
心と表現が一致しているのですね。

あの方は、ご自分の側で、御子イエスにその咎のすべてを負わせて、十字架刑で処刑されたので、

私たちはこのままで処刑済みの者と見なしていただけるのだそうですから。

それで、言い表して行くとき、あの方の側ではすでに解決していて下さることが分かるのですね。

 

 

 さまよい出たものに対して、心配し、心を痛めていたのでしょうね。あの方。

それで、その心を痛めていた分、帰って来た時の喜びは大きいのでしょう。

だから、大喜びなさるのですね。天使の軍勢と共に。

今日も。

 

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