信頼して大丈夫なのだそうです。この方
私の神よ、
あなたに依り頼みます。
どうか、私が恥を受けることのないようにしてください。詩編25:1〜2
人の子は、
失われたものを捜して
救うために来たのである。ルカ19:10
(ローズンゲン日々の聖句10/17;金)
天の父と呼ばれる方に信頼する者が恥を受けることはないのだそうです。
言ったことはそのとおりに実行され、約束は必ず成し遂げて下さるのだそうですから。
...
最初の約束、
それは、女の子孫として生まれる方があり、
サタンはその方のかかとにかみつくけれど、その方はサタンの頭を踏み砕く、というものでした(創世記3:15)。
歴史は下り、やがてご計画の時が満ちて、預言のとおりに、
天の父と呼ばれる方は、御子と呼ばれる方を、
ダビデ王の子孫であるユダヤの貧しい一処女、マリヤを通して、人として人の世に送られたのだそうです。
この方、イエスは、選良、エリート、この世で優れている者を選ぶのではなく、
この世の愚かな者、弱い者、この世の取るに足りない者、見下されている者に目を向けて下さったのだそうです。 そして、古い契約、律法を自分の力で行うことができないで、失われてしまった者を探し出して救うために来た、とおっしゃるのですね。
そのためには、自分からすすんで十字架刑を受けて下さり、私たち人間の反逆の罪を一身に背負って処刑されて下さったのだそうです。 私たちを救うための手続き、聖である霊と呼ばれる方が私たち人間の内に来られるための手続きを全部済まされて、「完了した」と言われて息を引き取られたのだそうです(ヨハネ19:30)。
この方により頼む者は、恥を受けることがないのだそうですね。 約束のとおりに、聖である霊と呼ばれる方が私たちの内に来て下さって、私たちにあの方の子の身分を与えて下さり、あの方の子としての生涯を歩ませて下さるのだそうですから。
今日も。
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