平和な関係にしていて下さるのだそうですね。あの方と。

彼の受けた懲らしめによって、
私たちに平和が与えられた。イザヤ書53:5

 

 キリストは、十字架にかかって、
自らその身に私たちの罪をになって下さいました。
私たちが、罪に対して死んで、
義によって生きるようになるためです。Ⅰペテロ2:24

              (ローズンゲン日々の聖句6/20;土)

 私たちが天の神、主のもとに帰って行けるようにと、

わたしたちを罪に対して死んだ者とし、

キリストの義を私たちの義として着せて、

神に対して生きるようにして下さるために、

イエスは、天の父である方の御思いに従って、自分から、十字架刑へと向かって行かれたのでそうです。

私たちに代わって私たちのそむきの罪の罰をご自分の身に負って罰せられて下さり、

私たちを天の神主と平和な関係に戻して下さっているのだそうです。

 


 私たちが天の神、主が差し出していて下さる、このイエスの死を、

生れたときからの私という霊の死と受け取り、

復活し天の父の右の座に帰られたイエスが派遣していて下さる聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、

この方が私たち一人ひとりの心に置いて下さる、私たち一人ひとりの今日に関わる御思いに気づき、

その思いについて行くなら、

その部分において、私たちは、天の神と思いを一つにし、行動を一つにする者、

「わたし(イエス)が行うわざを行う」者になり(ヨハネ14:12)、

やがて御前に立つとき、天の神、主と思いを一つにし、行動を一つにしている者として、

栄光を一つにし、

御自身の栄光の中に私たちを包んで下さるのだそうです。
天の神、主に対抗し、そむく者であり、罰せられはずの私たちなのに。

 

 羊が羊飼いについて行くようについて行かせて下さるのだそうですね。
今日も。

 

 

 

 

 


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