あの方と関係を持ちながら生きること、それが永遠の命ということでしょうか。

主は私を青草の原に休ませ、
憩いの水のほとりに伴い、
魂を生き返らせて下さる。
詩編23:2~3
 
 キリストの言葉:...
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
わたしは彼らに永遠の命を与える。
ヨハネ10:27~28
 
          (ローズンゲン日々の聖句6/19;金)
 
 天の神、主と呼ばれる方は、私たちを安全な場所に導き、
豊かにし、魂を生き返らせて下さる方のようですね。
 羊が羊飼いの声を聞き分けられるのは、
毎日、その世話を受け、その声を聞いているからなのでしょうか。
 
 イエスが十字架に架けられている時、両側に一人づつ、強盗の罪で処刑される者が十字架刑にされていたのだそうですが、最初はイエスに悪口を言い、ののしっていたそのうちの一人が、イエスの様子を見ているうちに心が変わったのでしょうか、「イエスさま、あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」とお願いしたのだそうです。
イエスはそれに対して、「まことにあなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と言って下さったのだそうです(ルカ23:41~43)。
 
 また、イエスは言われたのだそうです。
「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、
あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)と。
 
 羊が、毎日、羊飼いの世話を受け、声をかけてもらい、安全で豊かな牧草のあるところ、きれいな水のある所に導いてもらうことで自分の羊飼いを知るように、私たちも、天の神、主と呼ばれる方、天の父と呼ばれる方、そして、この方によって私たちの罪を負うために来て下さった救い主、御子である神と呼ばれるイエス・キリスト、そして、復活し天の父である神の右の座に帰られたイエス・キリストを通して私たちの内に来て下さる聖である霊と呼ばれる方と語り合い、また、具体的な支え、導きをいただくことで、この方々に具体的に触れ、体験し、知っていくことが、そのまま、永遠という次元の出来事ということのようですね。
 羊が羊飼いの後をトコトコついて行くように、
私たちも、声をかけていただくその声に気づき、聞き分け、ついて行きたいものですね。
今日も。