悪魔の働き、死も滅ぼされるのですね。

悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、
 神の子が現れたのです
。Ⅰヨハネ3:8b

                     (今週の聖句)
 
遠くから主を思い起こし、
エルサレムに心を留めよ。
エレミヤ51:50
 
 私たちはいつも心強いのですが、
 体を住みかとしている限り、
 主から離れていることも知っています。
 目に見えるものによらず、
 信仰によって歩んでいるからです
。Ⅱコリント5:6~7
 
                (ローズンゲン日々の聖句2/22;日)
 
 心をかたくなにして自分の思いに固執し、
ついに天の神、主の懲らしめに合い、
今は、バビロンの地にあったとしても、
 天の神、主は憐れみをもって、
やがてバビロンは裁かれ、
イスラエルの民は約束の地に帰還するという、
その日を約束して下さった。
 
 だから、遠く、異国の地の、捕囚の身にあるとはいえ、
エルサレムを思い、その希望によって生きよとの
慰めの言葉をかけていて下さるのですね。
 
 
 私たち人間、この地上にあっては、
この幕屋(肉体)の中にあって重荷を負ってうめいています。
けれども、天の神、主は、希望を与えていて下さるのですね。
 
 イエスが十字架刑での処刑をを受けて下さって、
死んで葬られ、
墓から復活されたことによって、
 私たちすべての人間にも復活させて下さるという希望が。
 
 
私たちの住まいである地上の幕屋(肉体)がこわれても、
 天の神、主は新しい建物(復活の体)を与えて下さるのだそうです。
それは、天にある永遠の家で、
それを着たなら、
 私たちはもう裸の状態(死によって身体がなくなっている状態)に
 なることはないのだそうです。
 
 新創造された世界では、
 神ご自身が私たちと共におられるので、
もはや、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもなく(黙示録21:3~4)、
 御座の御前で、数えきれない多くの人たちと共に
賛美させて下さるようになるのだそうですから(黙示録7:9~17)。
 
 バビロンの捕囚の身にあっても、エルサレム帰還の日を思い、
 希望をもって生きたように、
 私たち、今は肉体の中でうめいていたとしても、
 天の神、主が、私たちに
新しく、復活の体(霊の体)を与えてくださる(着替えさせて下さる)、
その喜びの日を心に留めなさいと言って下さっているようですね。
 この新しい一週間も。 
 
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