弱い者、無きに等しい者をあえて選んで呼び出し、

主なる神よ、
なにゆえ私を、私の家などを、
ここまで御導きくださったのですか。
サムエル記下7:18

神が私たちを救い、
聖なる招きによって呼び出してくださったのは、
私たちの行いによるのではなく、
御自身の計画と恵みによるのです
。Ⅱテモテ1:9
 
          (ローズンゲン日々の聖句2/21;土)

恵みなのですね。あの方からの。
 
 ダビデがイスラエルの王として地位が安定し、
神である主のために神殿を建てようと申し出たとき、
神である主は、ダビデが神殿を建てることはとどめ、
その代わりに、ダビデ王家の将来を約束して下さったのだそうです。
 
「あなたのために一つの家を造る。
わたしはあなたの身から出る世継ぎの子を、あなたの後に起こし、
彼の王国を確立される。
わたしはその王国の王座を
とこしえまでも堅く建てる(Ⅱサムエル7:11~13)」と。
 
 冒頭の聖句は、神である主からの、その約束を聞いて、
ダビデが応答しているところなのですね。
 
 野で、父親の羊の番をしていた少年ダビデを呼び出し、
サウル王から命を狙われているところを守り、
ついに、ユダとイスラエルの王として確立された。
その上に、将来のことまで、
ダビデの王座はとこしえまで堅く立つと。
 
「神、主よ。私がいったい何者であり、
私の家が何であるからというので、
あなたはここまで私を導いて下さったのですか。
この私はあなたの御目に取るに足りない者でしたのに、
あなたは、このしもべの家にも、
はるか先のことまで告げて下さいました、と。
 
 
あの方が、
ダビデだけではなく、
私たち人間を救い、呼び出して下さるのも、
私たちの善い行いや功績があるからではなく、
御自身の計画と恵みによることなのだそうです。
弱い者、無きに等しい者をあえて選んで
呼び出して下さったのだそうです。
 
 それゆえに、私たち、
自分自身には呼んでもらえる価値は何一つないことを知りながら、
イエス・キリストによって、
聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、
安心して、このままで、
天の神、主の前に出て行き、
「アバ、父よ」と
親しくお呼びすることができるのだそうです(ロマ8:15)。
今日も。
 
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