神を示されたのですね。御子である方

わたしは

初めであり、

終わりである。

 

わたしをおいて

神は

ない。

イザヤ書44:6


 

 

 いまだかって、

神を見た者は

いない。

 

父のふところにいる

独り子である神、

 

この方が

神を

示されたのである。

ヨハネ1:18
   

 

 (ローズンゲン日々の聖句7/18;金)

 

 

 

 初めからおられ、

この宇宙を、

人間の歴史を

始められた方。

 

神々と呼ばれるものはたくさんある中で、

わたしがそれだと

宣言出来る方なのですね。

あの方は。

 

 

そして、

永遠、不変の方。

 

いつまでも居られ、

 

この宇宙を、

人間の歴史を

終わらせられる方。

 

 

私たちはこの方を知りませんでしたが、

この方は、

私たち人間にご自身を示すために、

永遠の初めから共におられた

独り子である方を

人として、

人間イエスとして、

人の世に

生れさせられたのだそうです。

 

 

人の思っていることが、

言葉となって発せられて、

他の人に分かるように、

 

父である方が思っておられることが、

独り子である神と呼ばれる方によって

表現され、

知られるようになる。


この方が

「ことば(言)」である神と

呼ばれる理由なのでしょうか。

 

 

「子は、父がしておられることを見て行う以外には、

自分からは何事も行うことができません。

父がなさることは何でも、

子も同様に行うのです。」

(ヨハネ5:19)

 

 

 「わたしは、

自分からは何事も行うことができません。

ただ(わたしを遣わした方から)

聞くとおりにさばくのです。」

(ヨハネ5:30)

 

 

「わたしが

わたし自身からは

何事もせず、

ただ父が

わたしに教えられたとおりに、

これらのことを

話している」

(ヨハネ8:28)

 

 

 全知、全能、永遠不変な方が

こう言われているのですね。

 

 御子である方は、

父である方への愛と尊敬のゆえに、

自分を、

父である方の思いの

表現、

 

「ことば(言)」の位置に

置き、

 

ご自分の存在を

父である方の御思いを表す、

伝える役目に

徹しておられる。

 

 

また、

聖である霊と呼ばれる方は、

御子である方によって表現された

父である方の御思いを

そのとおりに

実現する役目に

ご自身を置いておられるようですね。

 

 

そして、

「わたしたちが

一つになっているように、

 

あなたがたも

わたしたちと

一つになる」

(ヨハネ17:11、21、22、創世記1:26)

と仰っておられるのだそうですね。

私たちに。

 

 

あくまで、

自分で善悪を判断する者として

止まるか、

 

あの方との一つに入れていただき、

あの方が

私を通してしようと思っていらっしゃることを

していく者になるか、

 

日々に問われることのようですね。

私たち。

 

今日も。

 

 

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