戻って来て欲しいのだそうです。心が通じ合う関係に

人の子は、

失われたものを捜して

救うために

来たのである。

ルカ19:10

(今週の聖句)


 

 

主なる神は、

土(アダマ)の塵で

人(アダム)を

形づくり、

 

その鼻に

命の息を

吹き入れられた。

 

 

人は

こうして

生きる者となった。

創世記2:7
 

 

 

すべての人に

命と息と、

 

その他

すべてのものを

与えてくださるのは

神です。

使徒17:25
  

 

  (ローズンゲン日々の聖句7/6;日)


 

 

あの方は、

人を造るのに、

 

まず、

土の塵で肉体を造られたのだそうですね。

 

そして、

鼻から息(霊)を

吹き入れられた。

 

 

それで、

人は

肉体のうちに

霊を持つ者となった

ということのようですね。


 

あの方は、

人を造る前に、

人が存在するのに必要なものの

すべてを造り、

 

人が

何一つ不自由なく暮らせるように、

全部を整えてから、

準備万端整ったうえで、

人を造り、

 

これを

エデンの園

置かれたのだそうです。


 

 

人は、

あの方に、

「われわれが一つであるように、

われわれと一つになる者を

(創世記1:26、ヨハネ17:11,21~23)」

願われて、

 

そのように

造られたのだそうです

(創世記1:31)。


 

けれども、

人は、

あの方と一つであるよりも、

自分が善悪を判断する者となり、

あの方に対抗して

自分の判断のとおりに生きる道を

選んで

(創世記3:22)、

 

的外れの者、

迷い出て失われたものと

なっているのだそうです。


 

イエスは、

その、

迷い出て失われたものになっている

私たちを探し出して

救い、

 

最初の目的の、

あの方と一つになる位置に

回復するために

来て下さったのだそうです。


 

いつも父親のそばにいて、

戒めの一つさえも破ったことがないとしても、

 

心は

父親から遠く離れていた

兄息子

(ルカ15:29)

のような私たちですが、

 

御父と思いを一つにする者に

なりたいですね。


 

「聖である霊」と呼ばれる方によって。

 

今日も。

 

 

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