全部を、自分ひとりのものにしたいのですよね。私たち。

散らしても
なお、
加えられる人もあり、
 
締めすぎて
欠乏する者も
ある。
箴言11:24
 
 
 
どんな貪欲にも
注意を払い、
用心しなさい。
 
有り余るほど物を持っていても、
人の命は
財産によって
どうすることもできないからである。
ルカ12:15
 
 (ローズンゲン日々の聖句11/26火)
 
 
私たち、
あの方との一つをやめて、
自分が善悪を知る者となった人間の本性は、
自分が一番でないと気が済まない、
自分一人が全部を一人占めしないと気が済まないようですね。
しかし、
あの方の経済法則は
全く違うようです。
 
 
あの方は言われます。
「与えなさい。
そうすれば自分も与えられます。
人々は量りをよくして、
押しつけ、揺すりいれ、あふれるまでにして、
ふところに入れてくれるでしょう。」
(ルカ6:38)
と。
 
今の私たちの余裕が
他の人の不足を補い、
 
今度は、
他の人の余裕が
私たちの不足を補う、
 
そうし合うようにと、
あの方は、
機械的な平等ではなく、
思いやり合うことで
平等な社会が実現するよう、
 
あえて、
私たちに
持ち物の差をつけておられるようですね
(Ⅱコリント8:14)
 
散らし惜しみをする、
支払うべきものさえも惜しんで
支払わなくて済むようにしたい
思いの出どころである
生まれたときからの私という「霊」は、
御子の十字架刑で
処刑されたものと認めて(計算して)、
 
「聖である霊」と呼ばれている方によって、
あの方の経済法則に添った思いが、
私の心に起こるよう、
願っていきたいですね。
 
今日も。
 
 
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