待ち望んでいた、約束の救い主なのですね。この赤ん坊が。

私はこの口をもって、主に尽きぬ感謝をささげ、
 多くの人の中で主を賛美します。詩編109:30

 アンナはそのとき近づいてきて神を賛美し、
エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に
幼子のことを話した。ルカ2:38


      (ローズンゲン日々の聖句89/1;火)

 貧しい者、しいたげられている者の側にいて、これを救い出される主の業を見て、人々は多くの人の中で主を賛美するのだそうです。

 エルサレムの神殿を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていたアンナ。

救い主を待ち望んでいた彼女も、イエスの両親が、41日の男子出産のきよめの期間が過ぎ、長子イエスを主にささげるために神殿に来たのを見て、約束を実行してくださる神をほめたたえ、感謝をささげたのだそうです。

そして、エルサレムの贖(あがな)いを待ち望んでいる人々に、この幼子のことを語ったのだそうです。

 


 キリスト紀元前670年頃、イスラエルで活動した預言者アモスは記しています。

すばる座やオリオン座を造り、
 暗黒を朝に変え、昼を暗い夜にし、
 海の水を呼んで、それを地に注ぐ方。
その名は主。
 主は強い者を踏みにじり、要塞を破壊する。
 彼らは門で戒めを与える者を憎み、正しく語る者を忌み嫌う。
あなたがたは貧しい者を踏みつけ、
 彼らから小作料を取り立てている。
それゆえあなたがたは、切り石の家々を建てても、
その中に住めない。
 美しいぶどう畑を作っても、その酒を飲めない。
 私は、あなたがたのそむきの罪がいかに多く、
あなたがたの罪がいかに重いかを知っている。
あなたがたは正しい者を嫌い、まいないを取り、
 門で貧しい者を押しのける。
それゆえ、このようなときには、賢い者は沈黙を守る。
それは時代が悪いからだ。

 


善を求めよ。悪を求めるな。
そうすれば、あなたがたは生き、
あなたがたが言うように、
 万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。
 悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。
もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない(アモス書5:8~15新改訳)。

 


 天の神、主は語っておられるのですね。
 「主を求めて生きよ」と。
 十字架に架かって、私たちの罪の全部を引き受けて下さった救い主イエスを受け入れ、

聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、わたしと思いを一つにしていってほしいと。
 今日も。


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