飲みなさい。私のところに来て、誰でも渇く者は。

 涸れた谷に鹿が水を求めるように、
神よ、私の魂はあなたを求める。詩編42:2
 
 イエスは立ち上がって大声で言われた。
「渇いている人はだれでも、
わたしのところに来て飲みなさい。」
ヨハネ7:37
 
              (ローズンゲン日々の聖句6/5;金)
  お前の神はどこにいるのかと人が言い、また、自分自身がそう思う時、
私たちの魂は思い乱れ、うなだれます。
 のどが渇き、冷たい水を慕い求めるときのように、神に渇き、神を待ち望んでいくとき、
聖である霊と呼ばれる方が来て下さって、神を感じさせて下さり、
確かに実在する方として、その方を父と仰いで、「父よ」と呼ばせて下さるのだそうです(ロマ8:15 ~17)。
 私たちの罪の全部を引き受けて、自ら罪人となり、私たちに代わって十字架刑で処刑されて下さったイエス。
 死んで葬られ、三日目、日曜日の早朝、復活され、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
御自分が生きていることを見せて、弟子たちを御自分の復活の証人として立てた上で、天に帰り、
父と呼ばれている方の右の座に着かれ、私たちを、処刑が終っている者として弁護して下さると共に、
もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を私たちに派遣して下さる方。
 この方に求めていけば、冷たい水でのどの渇きがいやされるように、
聖である霊と呼ばれる方によって神の存在が分かり、神を求める求めが満たされるのだそうです。
 わが魂よ。なぜ、おまえはうなだれているのか。
わたしの前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。
私の顔の救い、私の神を。(詩篇42:11)
今日も。
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