私たちの中にいて、働いて下さるのだそうです。あの方。

主よ、もし御好意を示してくださいますならば、
主よ、私たちの中にあって進んでください。
出エジプト記34:9
 
 
二人または三人が
わたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。
マタイ18:20
 
             (ローズンゲン日々の聖句3/13;金)
 
 
 天の神、主と呼ばれる方が、
好意をもって私たちの中に来て、
私たちと一緒にいて進んで下さるというのですね。
 
 その方は、憐れみ深く、情け深い神、
怒るのにおそく、恵みとまことに富み、
恵みを千代も保ち、咎(とが)とそむきと罪を赦す者、
罰すべき者は必ず罰して報いる者、
父の咎は子に、子の子に、三代、四代に報いられる方なのだそうです。
恵みは、千代に、
罰は三~四代に、なさる方なのだそうです(出エジプト34:6~7)。
 
 そればかりか、イエス・キリストの御名のゆえに、
私たちの話しを聞いて下さるというのです(マタイ18:19)。
 
 私たち、生まれたときからの私という霊から心に来る思いは、
あの方に反逆し、対抗する思い。
天の神、主のお言葉よりも、自分の判断のほうを良しとし、
天の神、主と呼ばれる方よりも自分を優れた者にしようとする者。
あの本に書かれているとおりに、
自分がそういうものであることを認め、
あの本に書かれているとおりに、
その私が、イエスの十字架の死に合わせていただいて
処刑され、死んだものであることを受け取った者に、
あの本に約束されているとおりに、
聖である霊と呼ばれる方が来て下さって、
心に、御父と呼ばれる方の、各自に関わる御思いを置いて下さる。
 
 それで、私たち、御父がこれからしようと思っておられることの
各自に関わる部分を、
まるで、自分の願いのように願い、
祈り求める者になっていくというのですね。
 
 そして、それが、一人にとどまらないで、
2~3人の小さなグループのメンバーの一人一人に起こり、
全員が同じ思い、同じ願いを持つようになるのだそうです。
 
 それで、二人が心を一つにして祈るということが実現し、
あきらめないで、しつこく祈り続けるということも
起こって来るのだそうです。
 
聖である霊と呼ばれる方の働きの現れなのだそうです。
今日も起こるのだそうです。
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