かけがえのない子、喜びの子なのだそうですね。あの方にとって、私たち。

エフライムは
わたしの
かけがえのない息子、
喜びの子ではないか。
 
彼を退けるたびに
さらに深く
心に留める。
 
わたしは
彼を
憐れまずにはいられない、
と主は言われる。
エレミヤ書31:20
 
 
彼は
そこをたち
父親のもとに行った。
 
ところが
まだ遠く離れていたのに
父親は
息子を見つけて、
憐れに思い、
走り寄って
首を抱き、接吻した。
ルカ15:20
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句10/15;火)
 
 
あの方は、
今も、
エフライム(イスラエル民族、ユダヤ人)のこと
このように思っていらっしゃるのですね。
 
だから、
たとい、
あの方がイスラエル民族(ユダヤ人)を怒って打ったとしても、
それは
愛する故の懲らしめなのですから、
それ見たことかということで
私たち異邦人が
イスラエル民族に
悪を働くならば、
 
それは、
あの方が非常に悲しむことであり、
あの方の怒りを招くことになるのだそうですね。
 
さらに言えば、
あの方は、
私たち異邦人にも、
同じ憐れみの気持ちをもって
接していて下さるのだそうです。
 
 
それで、
御子である方を
人としてこの世に送り、
十字架刑で処刑されるにあたっても、
イスラエル民族(ユダヤ人)だけの
罪の罰を負ったのではなく、
 
私たち
異邦人の罪の罰も
そっくり負って下さったのだそうです。
 
私たちのことも、
かけがえのない息子、
喜びの子と
思っていて下さり、
 
深く心に留め、
憐れみをもって、
帰って来るのを
待っていて下さるのだそうです。
 
私たちが、
あの方のほうに向き変わるとき、
あの方のほうで
私たちを見つけ、
走り寄って、
抱きしめ、接吻して下さり、
新しい霊のからだを用意して下さり、
子の身分を現す指輪をはめ、
喜びの大宴会
開いて下さるのだそうですね。
 
今日も。
 
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