アルファであり、オメガである方の御思いに生きて

主は命を奪い、また命を与え、
陰府
(よみ)に下し、
また引き上げます。
サムエル記上2:6

 

今おられ、かつておられ、
やがて来られる方、
全能者である神、主がこう言われる。
「わたしはアルファであり、
オメガである。」
黙示録1:8

 

 ガラテヤ書5:13~18
 黙示録1:9~20(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/ 18;火)

    ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、(主)、
「「わたしはある(I am)」という者」と
名乗られる方(主杖ジプト3:14)、

この方があらゆる生き物のいのちを奪い、
また、いのちを与える方、
よみに下し、また引き上げられる方なのですね。

 

この方こそ、アルファ(α)であり、オメガ(ω)、
最初であり、最後である方なのですから。

 

 

 この方について、
ローマ皇帝の迫害によって捕らえられ、
エーゲ海のパトモス島に島流しにされていた使徒ヨハネは、
ヨハネの黙示録1:12~19で次のように書き送っています。

 

「私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。
振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。
その方は、足まで垂れた衣をまとい、
胸に金の帯を締めていた。
その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、
その目は燃える炎のようであった。
 

その足は、炉で精錬された、
光り輝く真鍮(しんちゅう)のようで、
その声は大水のとどろきのようであった。

 

また、右手に七つの星を持ち、
口から鋭い両刃の剣が出ていて、
顔は強く照り輝く太陽のようであった。

 

この方を見たとき、私は死んだ者のように、
その足もとに倒れ込んだ。
すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。
 

『恐れることはない。
わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。
わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。
また、死とよみの鍵を持っている。
 

それゆえ、あなたが見たこと、
今あること、この後に起ころうとしていることを書き記せ。
あなたがわたしの右手に見た七つの星と、
七つの金の燭台の、秘められた意味について、
七つの星は七つの教会の御使いたち、
七つの燭台は七つの教会である。』」と。

 

 

 また、この方の御思いを受けて、
使徒パウロは書き送っています。

「兄弟たち。
あなた方は自由を与えられるために召されたのです。
ただ、その自由を
肉(生まれたときからの私)の働く機会としないで、
(【聖である霊】と呼ばれる方によって)
愛をもって互いに仕え合いなさい。

 

律法全体は、『あなたの隣人(となりびと)
自分自身のように愛しなさい』という
一つのことばで全うされるのです。

 

気をつけなさい。
互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、
互いの間で滅ぼされてしまいます。

 

私は言います。御霊(みたま)によって歩みなさい。
そうすれば、肉(生まれたときからの私)の欲求を
満たすことは決してありません。
 

肉(生まれたときからの私)の望むことは御霊に逆らい、
御霊が望むことは肉に逆らうからです。
この二つは互いに対立しているので、
あなたがたは願っていることができなくなります。
御霊によって導かれているなら、
あなたがたは律法の下にはいません。」(ガラテヤ5:13~18)

 

 

 私たちも、人間が考え出し、造った神ではなく、
この世界、この歴史の初めであり終わりである方、
全能者として、やがて来られる方、
私たちにいのちを与え、いのちを取り、
よみに下し、また引き上げることができる方、
光り輝く栄光の中におられる方が、
普通の人間として人の世に来られて、
ご自分の存在、いのちをかけて成し遂げてくださったことを
無駄にしないことが大切なのでしょうね。

 

私たちの肉と表現されている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
与えられた自由をもって、
肉(〔生まれたときからの私〕という霊)の理性による
善悪の判断のままに行動し、
肉(〔生まれたときからの私〕)の働く機会と
してしまっているのですね。

「互いに愛し合う」、
「愛をもって互いに仕え合う」のではなく、
自分の善悪の判断が一番いいとして、
互いに、相手を自分の判断に従わせようとして、
かみつき合ったり、食い合ったりして。

 

 

 【父である神】は、
このイエスの受けられた十字架刑での処刑によって、
私たちのこの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださいます。

 

そのうえで、死んで墓に納めまれ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって、ご自身の思いを私たちの心に置き、
私たちの心を御自身の思いの中に浸して、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにし、
私たちが、ご自身の御思いと思いを一つにして生きるように
してくださるのですから。

 

「御霊によって歩む者」、
「御霊に導かれて生きる者」に、と。
栄光に輝く方と同じ栄光に輝く者にしようと。

今日も。

 

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