刑罰の向こうに、子として相続する希望が

主は
もろもろの民の裁きに当たられる。
詩篇7:9

私たちは皆、キリストの裁きの座に出て
すべてが明らかにされ、
善であれ悪であれ、
めいめい、体を住みかとしていたときに
行った仕業に応じて、
報いを受けなければ
ならないからです。
Ⅱコリント5:10

 イザヤ書32:11~18
 ガラテヤ書4:21~31(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/1;水)

 

     ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
すべての人間の裁きに当たられる方なのだそうです。

それで、私たちはみな、イエスの裁きの座の前に出て、
善で悪であれ、それぞれ肉体を住みかとしていたときに
行った仕業に応じてさばきを受けることになるのですから。
心のうちの思いまで、すべてが明らかにされて。

 


 それで天の神、【主】は、イザヤを通して言われます。
「(さばきなどはないと)
安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)る女たちよ。
立ち上がって、わたしの声を聞け。
うぬぼれている娘たちよ。
わたしのことばに耳を傾けよ。
 

うぬぼれている女たちよ。
一年と少しの日がたつと、あなたがたはわななく。
ぶどうの収穫がなくなり、
その取り入れもやって来ないからだ。

安逸をむさぼる女たちよ、震えよ。
うぬぼれている女たちよ、わななけ。
着物を脱いで裸になり、
腰に粗布(あらぬの)をまとえ。
胸を打って嘆け。
麗しい畑、実り豊かなぶどうの木のために。
(いばら)やおどろが生い茂る、
わたしの土地のために。

そして、楽しい家々のすべて、
おごる都のために。
なぜなら、宮殿は見捨てられ、
町の騒ぎもさびれ、オフェルと見張りの塔は、いつまでも荒野に、
野ろばの喜ぶところ、群れの牧場になるからだ。」
 

「しかし、ついに、
いと高き所から私たちに霊が注がれ、
荒野が果樹園となり、
果樹園が森と見なされるようになる。
公正は荒野に宿り、
義は果樹園に住む。
義が平和をつくり出し、
義がとこしえの平穏と安心をもたらすとき、
わたしの民は、平和な住まい、
安全な家、安らかな憩いの場に住む。」(イザヤ32:11~18)


この預言のように、神はさばきを行われますけれど、
そのさばきの向こうに、恵みを、
回復を用意していてくださるのだそうですから。
私たちのために。

律法によるさばきの向こうに、
自由の女の子として神の国を相続する希望を。

今日も。

 

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