永遠のいのちを賜って

私たちの主イエス・キリストの父なる神が、
ほめたたえられますように。
神は、豊かな憐れみにより、
死者の中からの
イエス・キリストの復活を通して、
私たちを新たに生まれさせ、
生ける希望を与えてくださいました。
Ⅰペテロ1:3(4/24の週の聖句)


どこに、生きていて、死を見ない人が、
自分の魂を死の手から救う人が
いるでしょうか。
詩89:49

 

罪の支払う報酬は死です。
しかし、神の賜物
(たまもの)は、
私たちの主キリスト・イエスにある
永遠の命なのです。
ロマ書6:23

 ヨブ記42:7~13(14~17)
 Ⅰヨハネ1:5~10(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/26;火)

 

      ―――― ☆  ――――

 
聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
死んで、滅んでしまう私たちをかわいそうに思ってくださって、
死んで墓に納められ、三日目に
死人の中から、新しい霊のからだに復活した
イエス・キリストを通して私たちに、
死なないいのち、永遠のいのちへ
新しく生まれさせてくださるのですね。

 

生きていて死を見ない人、
自分自身を死の手から救い出せる人は、
だれ一人として、いないのですから。

 


 私たちは、「ご自分と思いを一つにする者を」と願われた
神の創造の目的から「的外れ」になり、
神と心を合わせることなく、
自分一人の判断で、善悪を決めていく者に
なっています(創世記1:26、3章)。
それで、私たちは死ぬ者となりました。

 

その私たちに【父である神】は、イエスによって、
神と思いを一つにしながら生きる、永遠のいのちを
プレゼントしていてくださるのですから。

 


 それで、ヨハネは書き送っています。
「私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、
神は光であり、神には闇が全くないということです。

もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、
闇の中を歩んでいるなら、
私たちは偽りを言っているのであり、真理を行ってはいません。

もし私たちが、神が光の中におられるように、
光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、
御子イエスの血が
すべての罪から私たちをきよめてくださいます。

 

もし自分には罪がない(「的外れ」ではない)と言うなら、
私たちは自分を欺(あざむ)いており、
私たちのうちに真理はありません。

もし私たちが自分の罪(「的外れ」)を告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪(的外れ)を赦し、
私たちをすべての不義からきよめてくださいます。

もし罪を犯したことがない(的外れな存在ではない)と言うなら、
私たちは神を偽り者とすることになり、
私たちのうちに神のことばはありません」(Ⅰヨハネ1:5~10)と。


 ですから、私たちは、
自分の本心を隠していく闇の方向ではなく、
ヨブがそうしたように、
「的外れ」なままの自分の心に浮かぶ思いを神の前に、
光の中に、差し出し、見ていただき、知っていただき、
受け取っていただき、光の出来事にしていただきながら、
神に報告、連絡、相談し、
神の御思いをお聞きしながら歩んでいくのですね。
永遠のいのちの中を。

今日も。

 

 

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