神である「主」に立ち帰って

主の日は大いなる日で
恐怖に満ちている。
誰がこの日を耐えることができようか。
しかし、今からでも、と主は言われる。
心を尽くして
わたしに立ち帰れ。
ヨエル書2:11~12

主を待ち望んでいる人のようで
ありなさい。
ルカ12:36

 Ⅱコリント5:1~10
 ゼカリヤ書7:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』12/9;木)

    ―――― ☆  ――――

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は言われるのですね。

神のさばきの日は非常に恐ろしい。
今からでも、心のすべてをもって、
わたしのもとに立ち帰ってほしい。と。

主人が返って来たとき、すぐに戸を開けようと
待っているしもべのように、この方に心を向けて。

 


 パウロは言います、
「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋(肉体)が壊れても、
私たちには天に、神が下さる建物、
人の手によらない
永遠の住まい(霊のからだ)があることを知っています。

私たちはこの幕屋(肉体)にあってうめき、
天から与えられる住まいを着たいと切望しています。
今着ているこの幕屋を脱いだとしても、
私たちは裸の状態でいることはありません。
確かにこの幕屋のうちにいる間、
私たちは重荷を負ってうめいています。

それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。
死ぬはずのものが、いのちによって呑み込まれるために、
天からの住まいを上に着たいからです。

そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。
神はその保証として御霊をくださいました。

ですから、私たちはいつも心強いのです。
ただし、肉体を住まいとしている間は、
私たちは主から離れているということも知っています。

私たちは見えるものによらず、
神への信頼によって歩んでいます。
私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、
主のみもとに住む方がよいと思っています。

そういうわけで、肉体を住まいとしていても、
肉体を離れていても、
私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。

私たちはみな、善であれ悪であれ、
それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、
キリストのさばきの座の前に
現れなければならないのです。」(Ⅱコリント5:1~10)

 

 
 ゼカリヤは言います。
「天の神、万軍の【主】はこう言われる。
『あなたがたが断食したとき、
本当にこのわたしのために断食したのか。
あなたがたが食べたり飲んだりするとき、
食べるのも飲むのも、自分のためではなかったか。

真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。
やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。
互いに対して、心の中で悪をたくらむな。』

 

ところが、彼らは拒んでこれを聞こうともせず、
肩を怒らせ、その耳を鈍くして聞き入れなかった。
彼らは心を金剛石のようにし、万軍の【主】がその御霊によって
先の預言者たちを通して送られた、みおしえとみことばを
聞き入れなかった。」(ゼカリヤ7:4~12)


 私たちも彼らと同じ心かたくなな者、
自分の思いを成し遂げることに固執して、
神の御思いを聞こうとしない者です。

そんな私たちを、神は忍耐して、
「わたしに立ち返って、
わたしと思いを一つにして生きる者になってほしい」と
呼びかけ続けていてくださるのですね。
天の御国、新しい霊のからだを用意して。

私たちも、この方と思いを一つにし、
この方の御思いが成ることを喜びとして。

エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心にも
【父である神】の御思いを置いてくださるのだそうですから。

今日も。

 

 

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