行った善に応じて、報いてくださるのだそうですから

あなたの手に善を行う力がある時、
なすべき相手に
善をすることを拒むな。
箴言3:27

 

善を行うことに労力を惜しむな。Ⅱテサロニケ3:13

 黙示録20:11~15
 Ⅰテサロニケ4:13~18(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』11/20;土)

 

     ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちに善を行ってほしいと
思っていらっしゃる方のようですね。

無理にということではなく。
私たちが善を行うことができるよう、
環境を整えておいてくださって。

 

 

 使徒ヨハネは、この世の終わりについて
神が見せてくださったことを次のように書き記しています。

「また私は、大きな白い御座と、
そこに着いておられる方を見た。
地と天はその御前から逃げ去り、跡形あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も
(神の)御座の前に立っているのを見た。
 

数々の書物が開かれた。
書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。
死んだ者たちは、
これらの書物に書かれていることにしたがい、
自分の行いに応じてさばかれた。

 

海はその中にいる死者を出し、
死とよみも、その中にいる死者を出した。
彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
 

それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。
これが、すなわち火の池が、第二の死である。
いのちの書に名の記されていない者はみな、
火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:11~15)

 

 

 また、使徒パウロは、
死んだ人のことについて書き記しています。
「眠っている人たちについては、兄弟たち、
あなたがたに知らずにいてほしくありません。
あなたがたが
望みのない他の人たちのように悲しまないためです。

エスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、
神は同じように、イエスにあって眠った人たちを、
(イエスが二度目に来られる時)、
エスと一緒に連れて来られるはずです。

 

私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。
生きている私たちは、
主イエスの(二度目の)来臨まで生き残っているなら、
眠った人たちより先になることは決してありません。

 

すなわち、号令と御使いのかしらの声と
神のラッパの響きとともに、
主イエスご自身が天から下って来られます。
 

そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが
(からだを、一瞬にして霊のからだに変えられて)、
彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、
空中で主イエスと会うのです。
こうして私たちは、
いつまでも主イエスとともにいることになります。
ですから、これらのことばをもって
互いに励まし合いなさい。」(Ⅰテサロニケ4:13~18)

 


 このように、聖書に書かれているところによりますと、
私たち、死んで終わりなのではなく、その先があるようです。
そして、天の神、【主】の御前に出て、
自分のしたこと、その生きざまにしたがって
審判を受けることになるようですね。

 

善を行う力を与えられながら、なすべき相手に
善を行わなかったことも神の書物に書き記されていて。

 

 

 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いを実行する者としていただいて、
御前に出たとき、
「よくやった。よい忠実なしもべだ。
おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。
主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:21)と
言っていただけるように。

 

御思いの中へと。

今日も。

 

 

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