永遠のいのちの泉から、ただで、飲みなさい、と

鹿が涸れ谷で水をあえぎ求めるように、
私の魂は、神よ、
あなたをあえぎ求める。
詩42:2
 
神は言われた。
「渇いている者には、命の水の泉から
無料で飲ませよう。」
黙示録21:6

 ルカ15:1~10
Ⅰテサロニケ3:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』11/18;木)

 

     ―――― ☆  ――――

 

 喉が渇いて死にそうな鹿が、水をあえぎ求めるように、
神をあえぎ求める人もいるのですね。

 

天の神、【主】は、私たちにも、
いのちの水の泉から、
価は、ご自身のほうで払い終えていてくださって、
「さあ、飲みなさい」と言っていてくださるのだそうです。

 


 自分を正しいと思っている人は、渇きを覚えないので、
エスによる救いを受けようとしないのですね。

けれども、自分が、神の前に立つことができない
「的外れ」の者であることを知っている者は
エスを求めるようです。

 

 

神ご自身も、100匹の羊を持っている人が、
野で行方不明になった一匹を探し求め、
見つけたら肩に乗せて帰って来て、
友だちや近所の人を呼び集め、
「一緒に喜んでください。
いなくなった羊を見つけましたから」と大喜びする人のよう、
なのだそうです。

 

 

 また、記念のドラクマ銀貨(ギリシャの銀貨)
10枚一組のものを持っていた女の人が、
その一枚をなくしたら、明かりをつけ、
家じゅうを掃いて見つけるまで注意深く探し、
見つけたら、女友達や近所の女友達を呼び集め、
「一緒に喜んでください。
なくしたドラクマ銀貨を見つめましたから」と言うように。
 

それと同じように、
一人の「的外れ」になっている人が
神のもとに帰って来るなら、
神の御使いたちの前には
喜びがあるのだそうです。(ルカ15:1~10)

 

 

 パウロが、テサロニケの人たちが、苦難の中にあって、
誘惑する者の誘惑に遭って動揺してはいないかと心配し、
様子を知るためにテモテを遣わしたのですが、
帰って来たテモテから、テサロニケの人たちも
パウロたちのことをいつも好意を持って思い起こし、
会いたいと思っていること、
彼らが、主イエスにあって堅く信頼に立っているとの
報告を聞いて、慰めを受け、喜び、
お互いに、早く会いたいと望んだように。(Ⅰテサロニケ3:1~10)


 天の神、【主】は、私たちにも、
「来て、飲みなさい。代金は払っているから」と
おっしゃっていてくださるのだそうです。
永遠のいのちの水の泉から。

今日も。

 

 

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