自分の蒔いた行いの結果を、刈り取る時が来るのだそうですから

あなたがたは再び、
正しき者と悪しき者、
神に仕える者と仕えない者との区別を
知るであろう。
マラキ書3:18

 

たゆまず善を行いましょう。
飽きずに励んでいれば、時が来て、
刈り取ることになります。
ガラテヤ書6:9

 フィリピ書1:19~26
 ヘブル書6:9~20(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』9/23;木・祝)

 

  ―――― ☆  ――—―


 私たちは思うのですね。
「神に仕えるのは無駄だ。
神の戒めを守っても、
万軍の主の前で悲しんで歩いても、
何の得になろう。
今、私たちは、
高ぶる者を幸せも野と言おう。
悪を行っても栄え、
神を試みても罰を免れる」と。


しかし、天の神、万軍の主は言われます。
「あなたがたは再び、正しい者と悪しき者、
神に仕える者と仕えない者の違いを
見るようになる。」(マラキ3:14~15、18)


だから言われるのですね。
「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
自分の肉(生まれたときからの私)に蒔く者は、
肉(生まれたときからの私)から滅びを刈り取り、
神の御霊に蒔く者は、
御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

失望せずに善を行いましょう。
あきらめずに続ければ、
時が来て刈り取ることになります」と。(ガラテヤ6:7~9)

 


 ローマの獄中にあって、
死刑になるかもしれない状況の中でパウロは書いています。

「あなたがた(ピリピの人たち)の祈りと
イエス・キリストの御霊の支えによって、
私が切に期待し望んでいるとおりに、
このこと(キリストが宣べ伝えられていること)が、
結局は私の救いとなることを知っているからです。
私の願いは、どんな場合にも
(これを言えば死刑判決になるというような場合にも)、
恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、
生きるにしても死ぬにしても、
私の身によってキリストがあがめられることです。
私にとっては生きることはキリスト、死ぬことは益です。

 

しかし、肉体において生きることが続くなら、
私の働きが実を結ぶことになるので、
どちらを選んだらよいか、私には分かりません。

私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
そのほうが、はるかに望ましいのです。
しかし、この肉体にとどまっていることが、
あなたがたのためには必要です。

このことを確信しているので、
あなたがたの信仰の前進と喜びのために、
(神は)私が生きながらえて、
あなたがたすべてとともにいるようにされることを、
私は知っています。」(ピリピ1:19~25)

 

 

 ヘブル書の著者は言います。

「神は不公平な方ではありません。
あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。
あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、
今も仕えることによって、
神の御名のために愛を示しました。

私たちが切望するのは、
あなたがた一人ひとりが同じ熱心さを示して、
最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け、
その結果、怠け者とならずに、信仰と忍耐によって
約束のものを受け継ぐ人たちにならう者と
なることです。」(ヘブル6:10~12)

 


 私たちも、神が正しく、公平にさばかれる
その日を望みながら、善き業、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中へ、

【父である神】がわたしを通してしようと思われる
その御業の中へ踏み出していきたいですね。
たゆまず、あきらめないで。

今日も。

 

 

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