神のことばに思いを潜め、思い巡らし

私は夜明けの見張りよりも先に目覚め、
あなたの御言葉に
思いを潜めます。
詩119:148

 

マリアはこれらの出来事を
すべて心に納めて、
思い巡らしていた。
ルカ2:19

 

 ルカ22:14~20
 使徒23:1~11(通読箇所)
    (ローズンゲン『日々の聖句』7/23 1;金・祝)

 

   ―――― ☆  ――—―

 

 朝早く、あるいは、夜中に目が覚めることは、
必ずしも、悪いことではないのかもしれません。

 

人は眠りの時、からだが休んでいる時と、
脳が休んでいる時があり、
からだが休んでいる時、脳は半分
目覚めたような状態になるのだそうですね。

だから、この時はからだが休んでいる時なのだそうですから。

 

 この時、夢を見ることが多いのだそうです。
心の底に残っている、今までの不安だったり、
困ったりしたことが心に浮かんでくるようです。
どちらかというと、ネガティブな思いが。

 

自分の理性が半分眠っているので、
普段は理性に抑えられ、
心の奥底に押し込められている思いが出てくるのでしょうか。

 

 その時、イエスをお呼びして、
「こんなことを思っていますよ」、
「こんなことが気になっていますよ」って、
エスの御前に差し出し、受け取ってもらう、
 

普段、自分でも気がつかない思いを、
エスに知ってもらう良い時間となるのでしょうね。

 

 また、神からの語りかけを聞く良い時として。
少年サムエルのように、
「【主】よ、お話しください。
しもべは聞いております」と。

 

また、心に浮かぶ聖書のことばを思いめぐらすのも。

 

ローマ皇帝から出た住民登録の命令のため、
ガリラヤのナザレから出身地であるダビデの町、
ベツレヘムに帰っって来たヨセフとマリア。

 

そこに到着した時、マリアは月が満ちて男の子を産みました。
宿屋には彼らのいる場所がなく、
やっと見つけた家畜小屋で。

 

それで、その赤ん坊を布にくるんで
飼葉おけに寝かせました。

 

するとどうでしょう。
野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちが
幼子を捜して、やって来たのですね。

 

羊飼いたちが言うには、
主の使いが彼らのところに来て、
主の栄光が周りを照らしたので、
羊飼いたちは非常に恐れた。

 

御使いは彼らに言った。
「恐れることはありません。
見なさい。私は、この民全体に与えられる、
大きな喜びを告げ知らせます。

 

今日、ダビデの町で、あなたがたのために
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。

 

あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ている
みどりごを見つけます。
それが、あなたがたのためのしるしです。」

 

すると突然、その御使いと一緒に

おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。

「いと高き所で、栄光が神にあるように。
地の上で、平和が、
みこころにかなう人にあるように。」

 

それで、「さあ、ベツレヘムまで行って、
主が私たちに知らせてくださったこの出来事を
見届けて来よう」と急いでやって来たと言うのですね。

 

それでマリアは、これらのことをすべて心に納めて、
思いめぐらしていたのだそうです。(ルカ2:1~19)

 

 

 イエスは、十字架に架かられる前夜、
弟子たちと最後の「過越しの食事」をされました。

 

その席で、パンを取り感謝の祈りをささげた後、
これを裂き、弟子たちに与えて言われました。
「これは、あなたがたのために与えられる、
わたしのからだです。
わたしを覚えて、これを行いなさい。」

 

食事の後、(ぶどう酒の)杯も同じようにして言われた。
「この杯は、あなたがたのために流される、
わたしの血による、新しい契約です。」(ルカ22:14~20)

 


 「新しい契約」、
それは、神の霊が私たちに来られて、
私たちの心に神の御思いを置き、書き記されて、
私たちのうちに神の御思いがあるようにし、
受け入れる者が神と思いを一つにして生きるようになる
というものです。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)


 十字架刑での処刑を受けて、
私たちの「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださり、

 

墓に納められ、三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
私たちにも復活の希望を与えてくださったイエス

 

40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

そのイエスを通して私たちに来てくださる神の霊、
【聖である霊】と呼ばれる方。

 

 この方の執り成しの中で、
私たちは心に浮かぶ思いの一つ一つを神の御前に差し出し、
受け取ってもらって、
私たちの心の思いが
神の御思いの中にあるようにしていただき、

 

この方によって、神の御思いが私たちの心来て、
神の御思いが私たちのうちにあるようにしていただいて。

 

その御思いに思いを潜め、思いめぐらし、
神と思いを一つにして、神がしようと思われることを
していく者としていただけるのですね。


 神がパウロに、
「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことを証言したように、
ローマでも証言しなければならない」(使徒23:11)と
言われたように。

今日も。

 

 

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