食べて満足する時、私たちは

食べて満足する時、
主を忘れないように
注意しなさい。
申命記6:11~12

 

世の富を持ちながら、
兄弟が貧しくて困っているのを見て
あわれみの心を閉ざす者があれば、
どうして神の愛が
その人の内にとどまるでしょう。
Ⅰヨハネ3:17

 

 Ⅰコリント10:16、17
 使徒22:22~30(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/22;木)

 

   ―――― ☆  ――—―


 私たち、生活が安定し、食べて満腹する時、
天の神、【主】を忘れる者なのですね。

それを自分の力で得たかのように思って。

 

 そのような私たちを、この方は、
なお、慈しみ、大切に思って、
私たちのために【御子である神】を
人間イエスとして人の世に送り、
私たちが造られた本来の場所に立ち返るために、
いのちを捨ててくださいました。

 

それで、この方の愛を受けた者は、
兄弟が貧しく、困っているのを見れば、
自分の持っている物の範囲でできることは、
何とかしてあげたいと思うのですね。

 

エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によて、
神の愛のお心を心に置かれた者は。

 

 

 イエスは、私たちすべての人間の身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
死んで、墓に納められました。

 

そして、三日目、日曜日の早朝、
新しい霊にからだに復活し、
40日にわたって弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

 そして私たちに、ご自身に代わって、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださるのですね。

 

この方、【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを私たち一人ひとりの心に置き、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が
【父である神】と一つ思いになって生きるようにと。

 
からだがその人の思う通りに動くように
私たちをキリストのからだの一部分として、
キリストが思われるとおりに動く者にと。(Ⅰコリント10:16、17)

 

 

 私たち、食べて満足する時、
私たちを支え、良きものを備えてくださった
天の神、【主】に感謝をささげます。


エスを通して私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる、
この方の愛の御思いに動かされながら。

今日も。

 

 

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