この方の愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意の思いをいただいて」

主はあわれみ深く、恵みに満ち、

怒るに遅く、慈しみに富む。詩103:8

 

霊の結ぶ実は
愛、喜び、平和、
忍耐、慈しみ、公正、
誠実、柔和、節制です。
ガラテヤ書5:22~23

 

 Ⅱコリント12:1~10
 使徒17:16~34(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/9;金)

 

    ―――― ☆  ――—―


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
あわれみ深く、恵みに満ち、情け深い方。
怒るのに遅く、慈しみに富むお方。

 

 イエスは、
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
【天の父である神】の右の座に帰られました。

そして、ご自身の代わりにもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださいます。

 

この方は、私たちの心に
【父である神】が思っておられる御思いを置き、
書きしるしてくださる方なのだそうです。

 

 それで、この方によって私たちの心にも
【父である神】の御思いが来るのですね。

 

愛、喜び、平和、忍耐、寛容、
公正、親切、善意、誠実、柔和、自制の思いが。

 

 また、この方は私たちの心に、
エスが主、キリストであることを示してくださり、
納得させてくださるのだそうです。

 

【父である神】は、この方によって、私たち一人ひとりを、
みんなの益となるように役目を与え、
用いてくださるのだそうです。

 

ある人には知恵のことば、
ある人には知識のことば、
ある人には特別なことをする信仰、
ある人には癒しの賜物、
ある人には奇跡を行う力、
ある人には預言、
ある人には霊を見分ける力、
ある人には種々の異言いげん
ある人には異言を解き明かす力などを与えて。(Ⅱコリント12:1~10)

 

一人も、
この人はいなくてもいいというようなことにはなさらないで。

 

また、一人の人に大きく与えて、
その人がつい、自分が特別な能力を持った人間だと
思い違いをして高ぶり、
恵みから落ちてしまうことがないように、と。

 


 【聖である霊】と呼ばれる方はパウロを、
迫害を通してテサロニケ、べレアからアテネに導かれました。

 

そして、パウロに、
町が偶像でいっぱいであることに怒りを覚えさせ、
ユダヤ教の)会堂では
ユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、
広場ではそこに居合わせた人たちと論じるように
されたのだそうです。

 

パウロが、イエスと復活を宣べ伝えていたので、
人々は、「このおしゃべりは、何が言いたいのか」といい、
ほかの者たちは、
「彼は他国の神々の宣伝者のようだ」と言った。

 

そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行き、
パウロの話しを聞くことにした。

 

 

パウロは言った。
アテネの人たち。あなたがたは、
あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。
道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、
『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを
見つけたからです。

 

そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、
それを教えましょう。

 

この世界とその中にあるすべてのものを
お造りになった神は、天地の主ですから、
手で造られた宮にお住みにはなりません。

 

また、何か足りないかのように、
人の手によって仕えられる必要もありません。
 

神ご自身がすべての人に、
いのちと息と万物をお与えになられるのですから。

 

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、
地の全地に住まわせ、
それぞれに決められた時代と、
住まいの境をお定めになりました。

 

それは、神を求めさせるためです。
もし人が手探りで求めることがあれば、
神を見いだすこともあるでしょう。

確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。

『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。
あなたがたのうちのある詩人たちも、
『私たちもまた、その子孫である』といったとおりです。

 

そのように私たちは神の子孫ですから、
神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと
同じであると、考えるべきではありません。

 

神はそのような無知の時代を、見過ごしておられましたが、
今はどこででも、すべての人に
悔い改め(方向転換して神に立ち返ること)を命じておられます。

 

なぜなら、神は日を定めて、
お立てになった一人の方により、
義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。
神はこの方を死者の中からよみがえらせて、
その確証をすべての人にお与えになったのです。」

 

死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑い、}
ほかの人たちは、「そのことについては、
もう一度聞くことにしよう」と言った。(使徒17:16~32)

 

 

 神である【主】は、私たちにも、
自分を自分の主人とし、
自分一人で善悪を決めていく生き方から方向転換して、
神に立ち返り、
神と思いを一つにして生きていく、愛し合う、者同士の関係に
戻りたいと願っておられるのだそうです。
 

私たちも、その神の呼びかけに応えて、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと思いを一つにしながら。

今日も。

 

 

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