野の花のようにはかない私たちの人生を、永遠の栄光で輝かせようと

人の生涯は草のよう。
野の花のように咲く。
風がその上を吹けば、消え失せ、
生えていた所を知る者もなくなる。
しかし、主の慈しみは
世々とこしえに続く。
詩103:15~16、17

 

キリストのお陰で、
その恵みに信仰によって導き入れられ、
神の栄光にあずかる希望を
誇りにしています。
ロマ書5:2

 

 士師記10:6~16
 使徒11;19~30(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』6/22;火) 

 

      ―――― ☆  ――—―

 

 人の一生は、野の花のようだと言うのですね。
朝には咲き誇っていても、
夕方にはしおれて枯れてしまい、
だれも覚えている人もいない。

 

しかし、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』と名乗られる方(出エジプト3:14)の
慈しみ、恵みは、とこしえに続くのだそうです。
エスによって、私たちにも与えていただける神の栄光も。

 

 

 約束の地に定着したイスラエルの民は、
生活が安定してくると、
自分たちをエジプトの地から連れ出し、
この約束の地に導き入れてくださった方、
神である主をないがしろにし、
その地の人々の神に心を寄せ、
これを拝むようになったのだそうです。

 

 それで神は、イスラエル
隣国のアンモン人の手に渡されたので、
イスラエルは大変な苦境に立たされました。

 

そのとき、イスラエルの民は、神である主に叫びました。
「私たちはあなたに罪を犯しました。
私たちの神を捨ててパアルの神々に仕えたのです」と。

 

神は言われました。
「わたしは、かって
エジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人から、
また、シドン人、アマレク人、マオン人が
あなたを虐げてあなたがたがわたしに叫んだとき、
あなたがたを彼らの手から救ったではないか。

 

しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。
だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。
行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。
あなたがたの苦しみの時には、彼らが救ってくれるだろう。」

 

イスラエルの人々は神である主に言いました。
「私たちは罪を犯しました。
あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。
だだ、どうか今日は、
私たちを救い出してください。」

 

彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って
【主】に仕えたので、
主はイスラエルの苦境を見るに忍びなくなられて、
エフタを士師として立てて
イスラエルを救うことにされたのだそうです。(士師記10:6~16)

 

 【父である神】は、このように
私たちの「的外れ」、背きを越えて、
エスを通して、慈しみ、恵みで
私たちを扱ってくださるのだそうです。
私たちをとこしえの神の栄光にあずからせようと思われて。

今日も。

 

 

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