「良い知らせ」にとどまり続け、心に来た愛の思いの中を

エスは言われる:
わたしは良い羊飼いです。
わたしの羊はわたしの声を聞き分け、
わたしは彼らのことが分かります。
彼らはわたしについて来て、
わたしは永遠の命を与えます。
ヨハネ10:11a、27~28a(5/1の週の聖句)


歌え、主に新しい歌を、
主の栄誉を地の隅々で。
イザヤ書42:10

あなたがたは
聞いた福音の希望に固執してください。
それは世のいたるところで、
空が続くかぎりどこまでも、
告げられています。
コロサイ書1:23

 マタイ9:35~10:1
 Ⅰヨハネ3:11~18(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』5/3;火・祝)
   (1728年5月3日ローズンゲン発足)

 

      ―――― ☆  ――――

 

 良い羊飼いとして来てくださっているイエスの声を、
私たちは聞き分け、この方について行くのですね。
永遠のいのちの関係の中を。


新しい歌、主の栄光をほめたたえる歌を、
地の東の果てからも。

 

聞いているイエスに関わる「うれしい知らせ」による
希望に固執し、とどまり続けて。

 

この「良い知らせ」は、世のいたるところで、
空が続くところどこまでも、
天の下のすべての造られた者に
告げ知らせられているのですから。

 


 イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、
御国の福音を宣べ伝え、
あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒され、
また、群衆を見て深くあわれまれたのですから。

 

彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、
弱り果てて倒れていたからである。
そこでイエスは言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために
働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

 

エスは12弟子を呼んで、
(けが)れた霊どもを制する権威をお授けになった。
霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを
(いや)すためであった。」(マタイ9:35~10:1)

 


 また、ヨハネの手紙は続きます。
「互いに愛し合うべきであること、
それが、あなたがたが初めから聞いている使信です。

カインのようになってはいけません。
彼は悪い者から出た者で、自分の兄弟を殺しました。
なぜ殺したのでしょうか。
自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。

兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。
私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。
 

兄弟を愛しているからです。
愛さない者は死のうちにとどまっています。
兄弟を憎む者はみな、人殺しです。
あなたがた知っているように、だれでも人を殺す者に、
永遠のいのちがとどまることはありません。

キリストは私たちのために
ご自分のいのちを捨ててくださいました。
それによって私たちに愛が分かったのです。

ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
この世の財を持ちながら、
自分の兄弟が困っているのを見ても、
その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、
どうして神の愛がとどまっているでしょうか。

子どもたち。
私たちは、ことばや口先だけではなく、
行いと真実をもって愛しましょう。」(Ⅰヨハネ3:11~18)と。

エスの十字架刑での死と、三日目の
死人の中からの新しい霊のからだへの復活を通して
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方が、
私たちの心に、
【父である神】の御思いを置いて下さるので、
私たちのうちに
【父である神】の愛の御思いがあるようになり、
その、うちに来た【父である神】の愛の思いによって、
私たちも行動するようにしていただけるのだそうですから。

今日も。

 

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、

また、婚活で広く出会いを求めたい教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
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一人ひとりの名を呼んで、注ぎの油により、御思いを心に置いてくださるので

主はモーセに言われた。
「あなたはわたしの目に恵みを見出した、
わたしは
名指しであなたを選んだ。」
出エジプト記33:17

エスは言う:
「わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、
羊もわたしを知っている。」
ヨハネ10:14

 使徒8:26~39
 Ⅰヨハネ2:18~29(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/30;土)

 

      ―――― ☆  ――――


 イエスが言われるように、
天の神、【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分の羊、ご自身の民を知っておられるのですね。
それで、私たち一人ひとりの名を呼んで、呼び出してくださるのだそうです。良い羊飼いとして。


 神を求めているエチオピア人の宦官(かんがん)
ピリポを遣わして導かれたように。


そのとき、主の使いがピリポに言ったのだそうです。
「立って南に行き、
エルサレムからガザに下る道に出なさい」と。
そこは荒野だったのですね。

「ピリポは立って出かけた。
すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、
女王の全財産を管理していた宦官(かんがん)
エチオピア人がいた。
彼は礼拝のためエルサレムに上り、帰る途中であった。

彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
御霊(みたま)がピリポに
『近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい』と言われた。

 

そこでピリポが走って行くと、
預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、
『あなたは、読んでいることが分かりますか』と言った。
するとその人は『導いてくれる人がいなければ、
どうしてわかるでしょう』と答えた。

そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。
彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。
『屠(ほふ)り場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、
彼は口を開かない。
彼は卑(いや)しめられ、さばきは行われなかった。
彼の時代のことを、誰が語れるだろう。
彼のいのちは地上から取り去られたのである。』

 

宦官はピリポに言った。
「お尋ねしますが、預言者
だれについてこう言っているのですか。
自分についてですか。
それとも、だれかほかの人についてですか。」

 

ピリピは口を開き、この聖書の箇所から始めて、
エスの福音(良い知らせ)を彼に伝えた。
道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、
宦官は言った。
『見てください。水があります。
私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。』
そして、馬車を止めるように命じた。
ピリピと宦官は二人とも水の中に降りて行き、
ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
二人が水から上がってきとき、
主の霊がピリポを連れ去られた。
宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、
喜びながら帰って行った。」(使徒8:7~13(14~17)

 

 

 ヨハネの手紙は続きます。
「と、世の欲は過ぎ去ります。
しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。
幼子たち、今は終わりの時です。
反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり、
今や多くの反キリストが現れています。
それによって、今が終わりの時であると分かります。

彼らは私たちの中から出て行きましたが、
もともと私たちのではなかったのです。
もし仲間であったなら、私たちのもとに、留まっていたでしょう。
しかし、出て行ったのは、彼らがみな
私たちの仲間でなかったことが
明らかにされるためだったのです。

あなたがたには聖なる方からの
注ぎの油(【聖である霊】と呼ばれる神)があるので、
みな真理を知っています。

私がこのように書いてきたのは、
あなたがたが真理を知らないからではなく、
真理を知っているからです。
また、偽りはすべて、真理から出ていないからです。

偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくて
だれでしょう。
御父(みちち)と御子(みこ)を否定する者、
それが反キリストです。

だれでも御子を否定する者は御父を持たず、
御子を告白する者は御父も持っているのです。

あなたがたは、
初めから聞いていることを自分のうちにとどまらせなさい。
もし初めから聞いているところにとどまっているなら、
あなたがたも御子と御父のうちにとどまります。

これこそ、御子が私たちに約束してくださったもの、
永遠のいのちです。

私はあなたがたを惑わす者たちについて、
以上のことを書いてきました。
しかし、あなたがたのうちには、
御子から受けた注ぎの油(【聖である霊】と呼ばれる神)が
とどまっているので、
だれかに教えてもらう必要はありません。
その注ぎの油(【聖である霊】と呼ばれる神)が
すべてについてあなたがたに教えてくれます。
それは真理であって偽りではありませんから、
あなたがたは教えられたとおり、
御子のうちにとどまりなさい。
さあ、子どもたち、キリストのうちにとどまりなさい。
そうすれば、キリストが現れるとき、
私たちは確信を持つことができ、
来臨(イエスが再び、来られる)のときに
御前で恥じることはありません。

あなたがたは、神が正しい方であると知っているなら、
義を行う者もみな
神から生まれたことが分かるはずです。」(Ⅰヨハネ2:17~29)

 

 

名指しで私たちを呼んでくださる方。
私たちは、その呼び声に応えて、
その約束のことばの中にとどまり続けるのですね。
ピリポを遣わしてエチオピア人の宦官を導かれたように、
私たちにも、イエスを通して、注ぎの油、
【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださり、
ご自身の思いを、私たちの心に置いてくださるのですから。
その御思いの中にとどまり続けて。

今日も。

 

 

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もう、戦争のことは習わなくてよくなって

主は多くの民のために判決を下される。
彼らはその剣を鋤
(すき)に、
その槍を鎌に打ち直す。
イザヤ書2:4

神は、御言葉をイスラエルの民に送り、
すべての人の主である
イエス・キリストを通して、
平和を
告げ知らせてくださいました。
使徒10:36

 Ⅰペトロ2:1~10
 Ⅰヨハネ2:7~11(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/28;木) 

 

      ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は
イザヤを通して預言して言われます。


「終わりの日に、
【主】の家は山々の頂に堅く立ち、
もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。

そこにはすべての国々が流れて来る。
多く、民族が来て言う。
『さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を私たちに教えてくださる。
私たちはその道筋を進もう。』


それは、シオン(エルサレム)からみおしえが、
エルサエムから【主】のことばが出るからだ。
 

主は国々の間をさばき、
多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤(すき)に、
その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、
もう戦うことを学ばない。」(イザヤ2:2~4)

 


 それで、この方は、イスラエルの民にみことばを送り、
すべての人の主であるイエス・キリストを通して
平和を告げ知らせてくださいました。

私たちを、すべての悪意、すべての偽り、
偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
生まれたばかりの乳飲み子のように、
純粋な、霊の乳を慕い求める者にし、
成長させ、救いを得るようにさせて。

私たちは、主がいつくしみ深い方であることを
確かに味わったのですね。

 


 ペテロは、続けて言います。
「主のもとに来なさい。
主は、人には捨てられたが神に選ばれた、
尊い生ける石です。

あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、
神に喜ばれる霊のいけにえを
イエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。

聖書にこう書いてあるからです。
『見よ、わたしはシオンに、
選ばれた石、尊い要石(かなめいし)を据える。
この方に信頼する者は、決して失望させられることがない。』


したがってこの石は、
信じているあなたがたには尊いものですが、
信じていない人々にとっては、
『家を建てる者たちが捨てた石、
それが要石となった』のであり、
それは『つまずきの石、妨げの岩』なのです。

彼らがつまずくのは、御言葉に従わないからであり、
また、そうなるように定められていたのです。

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、
聖なる国民(くにたみ)、神のものとされた民です。

それは、あなたがたを闇の中から、
ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、
あなたがたが告げ知らせるためです。

あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、
今は神の民であり、
あわれみを受けたことがなかったのに、
今は哀れみを受けています。」(Ⅰペテロ2:1~10)

 

 

 また、使徒ヨハネは書いています。
「愛する者たち。
私があなたがたに書いているのは、新しい命令ではなく、
あなたがたが初めから持っていた古い命令です。
その古い命令とは、
あなたがたがすでに聞いているみことばです。

私は、それを新しい命令として、
もう一度あなたがたに書いているのです。

それはイエスにおいて真理であり、
あなた方においても真理です。
闇が消え去り、まことの弟光がすでに輝いているからです。

光の中にいると言いながら自分の兄を憎んでいる人は、
今でもまだ闇の中にいるのです。

 

自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、
その人のうちにはつまずきがありません。

しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいて、
闇の中を歩み、自分がどこに行くのかが分かりません。
闇が目を見えなくしたからです。」(Ⅰヨハネ2:7~11)

 


 今から2700年ほど前に、
今の日本国憲法9条を思わせるような文章が
書き記されていたのですね。
平和を告げ知らせて。


闇の中にいた私たちを、光の中へ導き、
神の民、聖なる国民とし、
愛の中を歩む、行先の分かっている者にしてくださって。

今日も。

 

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新しい契約の生き方を、私たちにくださる神に

あなたがたが今日までしてきたように、
主に、あなたがたの神に
忠実であれ。
ヨシュア記23:8
 

何事かを自分のしたことと考える資格は、
私たちにはありません。
私たちの資格は
神からのものです。
Ⅱコリント3:5
 

 イザヤ書66:6~13(14)
 Ⅰヨハネ2:1~6(通読所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/27;水)

 

      ―――― ☆  ――――

 

 私たちも、聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)を私の神とし、
この方に忠実でありたいと願うのですね。
 

私たちが自分の力で何事かをしたということではなく、
神がわたしたちを、
新しい契約で生きる者にしてくださるのですから。

自分の力で、神の御思いのように生きていくことでは
落第であった私たちに、
神は【神の霊】とか【聖である霊】とか呼ばれる方を
お遣わしくださって、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
書き記してくださって、
私たちに心にご自身に御思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにしながら生きるという、
新しい生き方を生きる者にしてくださるのですから(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)。

 


 この方、天の神、【主】は、
預言者イザヤを通して預言して言われます。


「都(エルサレム)から騒ぎが、
宮(エルサレム神殿)から声が聞こえる。
敵に報復する【主】の御声が。


『彼女は産みの苦しみが来る前に産み、
陣痛が来る前に男の子を産み落とす。
だれが、このようなことを聞き、
だれが、これらのことを見たか。
地は一日の苦しみで産み出されるだろうか。
国は一瞬にして生まれるだろうか。

ところが、シオン(エルサレム)は、産みの苦しみと同時に
子たちを産む。 
わたしが胎を開きながら
産ませないだろうか。
——【主】は言われる——
わたしは産ませる者なのに
胎を閉ざすだろうか。
——あなたの神は仰せられる。』

 

エルサレムとともに喜べ。
すべて彼女を愛する者よ、彼女とともに楽しめ。
すべて彼女のために悲しむ者よ。
彼女とともに喜び喜べ。
あなたが彼女の慰めの乳房から飲んで満ち足り、
その豊かな乳房から吸って喜びを得るために。
 

【主】はこう言われる。
『見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、
あふれる流れのように国々の栄光を与える。
あなたがたは乳を飲み、
脇に抱かれ、膝(ひざ)の上でかわいがられる。
母に慰められる者のように、
わたしはあなたがたを慰める。
エルサレムであなたがたは慰められる。
あなたがたがこれを見るとき、その心は喜び、
骨は若草のように生き返る。
【主】の手はそのしもべたちに知られる。
その憤(いきどお)りは敵たちに。』」(イザヤ66:6~14)
 

 

12使徒の一人、ヨハネの手紙は続きます。
「私の子どもたち。
私がこれらのことを書き送るのは、
あなたがたが罪を犯さないようになるためです。

しかし、もし誰かが罪を犯したなら、
私たちには、御父(みちち)の前でとりなしてくださる方、
義なるイエス・キリストがおられます。

この方こそ、私たちの罪のための、
いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための
(なだ)めのささげ物です。

もし私たちが神の命令を守っているなら、
それによって、自分が神を知っていることが分かります。
神を知っていると言いながら、その命令を守っていない人は、
偽り者であり、その人のうちに真理はありません。
しかし、だれでも神のことばを守っているなら、
その人のうちに神の愛が確かに全うされているのです。
それによって、自分が神のうちにいることが分かります。
神のうちにとどまっているという人は、
自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません。」(Ⅰヨハネ2:1~6)


 イエスが、私たちすべての人間の身代わりとなって
十字架刑での死刑を受けとおされ、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活された今は、

 

そして、イエスは、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたのち、
天の【父である神】の右の座に復帰されました。

 

そしてその位(くらい)にあって、
約束の【聖である霊】を私たちにお遣わしくださいました。

この方は、私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださり、
私たちが【父である神】と一つ思いになって生きる
新しい契約の生き方を生きさせてくださいます。

罪(的外れ)の生き方から、
神と思いを一つにしながら生きる
義なる、的(まと)の当たった、
神の創造の目的(創世記1:26)に合った生き方へと。

私たちを、今日も。
 

 

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永遠のいのちを賜って

私たちの主イエス・キリストの父なる神が、
ほめたたえられますように。
神は、豊かな憐れみにより、
死者の中からの
イエス・キリストの復活を通して、
私たちを新たに生まれさせ、
生ける希望を与えてくださいました。
Ⅰペテロ1:3(4/24の週の聖句)


どこに、生きていて、死を見ない人が、
自分の魂を死の手から救う人が
いるでしょうか。
詩89:49

 

罪の支払う報酬は死です。
しかし、神の賜物
(たまもの)は、
私たちの主キリスト・イエスにある
永遠の命なのです。
ロマ書6:23

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聖書が啓示している神、天の神、【主】、
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名乗られる方(出エジプト3:14)は、
死んで、滅んでしまう私たちをかわいそうに思ってくださって、
死んで墓に納められ、三日目に
死人の中から、新しい霊のからだに復活した
イエス・キリストを通して私たちに、
死なないいのち、永遠のいのちへ
新しく生まれさせてくださるのですね。

 

生きていて死を見ない人、
自分自身を死の手から救い出せる人は、
だれ一人として、いないのですから。

 


 私たちは、「ご自分と思いを一つにする者を」と願われた
神の創造の目的から「的外れ」になり、
神と心を合わせることなく、
自分一人の判断で、善悪を決めていく者に
なっています(創世記1:26、3章)。
それで、私たちは死ぬ者となりました。

 

その私たちに【父である神】は、イエスによって、
神と思いを一つにしながら生きる、永遠のいのちを
プレゼントしていてくださるのですから。

 


 それで、ヨハネは書き送っています。
「私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、
神は光であり、神には闇が全くないということです。

もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、
闇の中を歩んでいるなら、
私たちは偽りを言っているのであり、真理を行ってはいません。

もし私たちが、神が光の中におられるように、
光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、
御子イエスの血が
すべての罪から私たちをきよめてくださいます。

 

もし自分には罪がない(「的外れ」ではない)と言うなら、
私たちは自分を欺(あざむ)いており、
私たちのうちに真理はありません。

もし私たちが自分の罪(「的外れ」)を告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪(的外れ)を赦し、
私たちをすべての不義からきよめてくださいます。

もし罪を犯したことがない(的外れな存在ではない)と言うなら、
私たちは神を偽り者とすることになり、
私たちのうちに神のことばはありません」(Ⅰヨハネ1:5~10)と。


 ですから、私たちは、
自分の本心を隠していく闇の方向ではなく、
ヨブがそうしたように、
「的外れ」なままの自分の心に浮かぶ思いを神の前に、
光の中に、差し出し、見ていただき、知っていただき、
受け取っていただき、光の出来事にしていただきながら、
神に報告、連絡、相談し、
神の御思いをお聞きしながら歩んでいくのですね。
永遠のいのちの中を。

今日も。

 

 

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自分は、十字架刑での死刑を受ける道を歩まねばならないのだ、と

人の子は、
彼を信じる者がみな
永遠の命を得るために、
高く上げられねばならない。
ヨハネ:14b、15(4/10 の週の聖句)

喜びの音をもって告げ、聞かせよ。
地の果てまで持ち運び、語れ.

「主はその僕ヤコブを贖(あがな)われた」と。イザヤ書48:20

彼は私たちを闇の支配から救い出して、
その愛する御子の支配下へと
移してくださいました。
コロサイ書1:13
 ヨブ記38:1~11(40:1~5)
 ヨハネ18:28~40(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/12;火)

 

 

 イエスは、ご自分のことを
ダニエル書7:13~14に書かれているように、
よく「人の子」と言っておられました。
「人の子」である自分は、【父である神】の御思いのとおりに、
十字架につけられて、上げられなければならない、と。
そのことによって自分に信頼する者がみな、
永遠のいのちを得るようになるために、と。


それで、私たちは
喜びの声をあげて告げ、聞かせるのですね。
地の果てにまで響き渡らせて。
「【主】が、そのしもべヤコブを贖(あがな)われた」と。

 

御父(みちち)は、このイエスによって
私たちを暗闇の力から救い出し、
愛する御子イエス支配下に置いてくださっているのですから。

 


 神と正しい関係を持ち、正しい生き方をしていたヨブが、
一日のうちに、
全財産と七人の息子、三人の娘全部を失い、
そのうえ、自分自身も
頭のてっぺんから足の裏まで悪性の腫瘍ができ、
灰の中に座り、土器のかけらで身を掻きながら
ヨブは言うのですね。

なんで自分がこのような目に遭わねばならぬのか、
神と議論してみたい、と。

神である【主】は、嵐の中からヨブに答えられた。
知識もなしに言い分を述べて、
摂理を暗くするこの者はだれか。
 

さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。
私はあなたに尋ねる。わたしに示せ。
わたしが地の基を定めたとき、
あなたはどこにいたのか。
分かっているなら、告げてみよ。
あなたは知っているはずだ。
だれがその大きさを定め
だれがその上に測り縄を張ったかを。(ヨブ38:1~5)

非難する者が全能者と争おうとするのか。
神を責める者は、それに答えよ。

ヨブは答えた。
ああ、私は取るに足りない者です。
あなたに何と口答えできるでしょう。
私はただ手を口に当てるばかりです。
一度、私は語りました。もう答えません。
二度、語りました。もう繰り返しません。(ヨブ40:1~5)

 


 イエスが受けられた、
ローマ総督ピラトのもとでの裁判の様子を、
12弟子のひとりヨハネは次のように記しています。

さて、彼ら(大祭司をはじめ、ユダヤの指導者たち)は、
エスをカヤパ(大祭司)のもとから総督官邸に連れて行った。
明け方のことであった。
彼らは、過越しの食事が食べられるようにするため、
(けが)れを避けようとして、官邸の中へは入らなかった
(異邦人の家に入ると汚れるので、
過越しの食事が食べられなかった)。

 

それで、ピラトは外に出て、彼らのところに来て言った。
「この人に対して何を告発するのだ。」
彼らは答えた。
「この人が悪いことをしていなければ、
あなたに引き渡したりはしません。」

そこで、ピラトは言った。
「おまえたちがこの人を引き取り、
自分たちの律法にしたがってさばくがよい。」

ユダヤ人たちは言った。
「私たちはだれも死刑にすることが許されていません。」
ローマ帝国は、普通の犯罪は、
支配地の人たちがさばくことを許していたが、
死刑のような重罪は、ローマ帝国自身がさばいていた。)

これは、イエスがどのような死に方をするかを
示して言われた(聖書の預言の)ことばが、
成就するためであった。
ユダヤの律法での処刑は
石打:石を投げつけて殺す、であったが、
預言のことばでは「木にかけられる」と記されている。)

そこで、ピラトは再び総督官邸に入り、
エスを呼んで言った。
「あなたはユダヤ人の王なのか。」
エスは答えられた。
「あなたは、そのことを自分で言っているのですか。
それともわたしのことを、
ほかの人々があなたに話したのですか。
 

ピラトは答えた。
「私はユダヤ人なのか。
あなたの同胞と祭司長たちが、
あなたを(死刑にするため)私に引き渡したのだ。
あなたはなにをしたのか。」
 

エスは答えられた。
「わたしの国はこの世のものではありません。
もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、
わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったことでしょう。
しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」

そこで、ピラトは言った。
「それでは、あなたは王なのか。」
 

エスは答えられた、
「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。
わたしは、真理について証しするために生まれ、
そのために世に来ました。
真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」

ピラトはイエスに言った。
「真理とは何なのか。」

こう言ってから、再びユダヤ人のところに出て行って、
彼らに言った。
「わたしはあの人に何の罪も認めない。
過越しの祭りでは、
だれか一人をおまえたちのために釈放する慣わしがある。
おまえたちはユダヤ人の王を釈放することを望むか。」

すると、彼らは再び大声をあげて、
「その人ではなく、バラバを」と言った。
バラバは強盗であった。(ヨハネ18:28~40)

 


このようにして、イエスは、
【父である神】の御思いに従って、
私たちの贖(あがな)いのための贖い代(しろ)として、
ご自分のいのちを献げる道、
「木に掛けられ、上げられる」十字架刑での死刑を受ける道を
歩み続けてくださったのですね。

ヨブが
不当な苦しみを神に訴え、神の御大見を受けていったように、
ゲツセマネで、血の汗を滴らせるような【父である神】との
話し合いの中で。


私たちを闇の力から救い出して、イエス支配下へと移し、
光の子として、心の思いの一つ一つを神の光の中に差し出し、
見ていただき、知っていただきながら、
神と思いを一つにする生き方を生きられるようにするために。

今日も。

 

 

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もう一人の助け主が、私たちの唇を開いて

主よ、私の唇を開いて、
私の口にあなたの誉れを
告げ知らせてください。
詩51:17(新改訳51:15)

私たちが見、また聞いたことを、
あなたがたにも伝えます。
Ⅰヨハネ1:3

 ヨハネ16:16~23a
 ヨハネ16:5~15(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/1;金)

     ―――― ☆  ――――

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちの唇を開いてくださるので、
私たちの口は
この方の誉れを告げ知らせるようになるのですね。

それで、12弟子のひとりヨハネは言います。
「私たちが見たこと、聞いたことを
あなたがたにも伝えます」と。

 


 イエスは言われました。
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、
またしばらくするとわたしを見ます。
あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。
あなたがたは悲しみます。
 

しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。
女は子を産むとき、苦しみます。
自分の時が来たからです。
しかし、子を産んでしまうと、
一人の人が世に生まれた喜びのために、
その激しい痛みをもう覚えていません。

 

あなたたがは今は悲しんでいます。
しかし、わたしは再びあなたがたに会います。
そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
その日には、あなたがたは
わたしに何も尋ねません。」(ヨハネ16:16~23a)

 

 

 イエスは、また、言われました。
「しかし今、わたしは、
わたしを遣わされた方のもとに行こうとしています。
けれども、あなたがたのうちだれも、
『どこへいくのですか』と尋ねません。
むしろ、わたしがこれらのことを話したため、
あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。

しかし、わたしは真実を言います。
わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。
去って行かなければ、
あなたがたのところに助け主はおいでになりません。
でも、行けば、わたしはあなたがたのところに
助け主を遣わします。

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、
世の誤りを明らかになさいます。
罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
義についてとは、わたしが父のもとに行き、
あなたがたはもはやわたしを見なくなるからです。
さばきについてとは、
この世を支配する者がさばかれたからです。

あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、
今あなたがたはそれに耐えられません。
しかし、その方、すなわち真理の御霊(みたま)が来ると、
あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。

御霊みたまは自分から語るのではなく、聞いたとことをすべて語り、
これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。

御霊みたまはわたしの栄光を現されます。
わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。
ですからわたしは、御霊みたまがわたしのものを受けて、
あなたがたに伝えると言ったのです。」(ヨハネ16:5~15)


 この、神の御霊とか、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちの心に【父である神】の御思いを置いて、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちの唇を開き、私たちが
【父である神】の御思いを語っていくようにされるのですね。

エスは、十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に納められ、
三日目に新しい霊のからだに復活され、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に着座され、
約束のとおり、この御霊みたま とか【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださって。

今日も。

 

 

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