神である主が良いと思われることを、していく者に

 どうか主が私に良いと思われることを、
私にしてくださるように。
私はここにおります。サムエル記下15:26口語訳

 ペテロがイエス
「主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」
と言うと、
エスは「わたしの小羊を飼いなさい」
と言われた。ヨハネ21:15

 Ⅰペテロ2:1~10
 エフェソ書2:11~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/13;金)

 最初の言葉は、ダビデ王が、息子のアブシャロムの反乱に遭い、
急いでエルサレムから脱出する時、祭司ツアドクに言ったものですが、
私たちも、ダビデと同じように、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、
「私に良いと思われることを、私にしてくださるように」
と言う者でありたいですね。

 十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエスが、
ガリラヤ湖で弟子たちに現れられた時のこと、
エスは弟子たちと朝食を共にしたあと、
ペテロに、三度、問われたのだそうです。
「あなたはわたしを愛しますか」と。
アガペー(完全な愛、神の愛)で、二度、
そして、フィレオ―(兄弟愛)で答えるペテロに、
三度目はフィレオ―で愛するかと。
そして、「わたしの小羊を飼いなさい」と。

 筆頭弟子を自認し、
エスに、「あなたのためにはいのちも捨てます」と言い切ったペテロ。

 しかし、イエスが捕らえられ、裁判を受けている大祭司の庭で、
門番の女や下役から問われたとき、
三度も、「そんな者ではない」と
エスの弟子であることを否定し(ヨハネ18:17、25、27)、
「あの人を知りません」(ルカ22:57)と言ったのですね。

 そのようなペテロに、
エスは、三度、「わたしを愛するか」と尋ねられて、
「わたしの小羊を飼いなさい」と命じられたのだそうです。

 私たちも、イエスと一つにしていただいて、
以前は神の民でなかったのに、神の民としていただき、
以前はあわれみを受けない者であったのに、あわれみを受け、
選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、
神の所有とされた民としていただき、
やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方の
すばらしい御業を体験し、
証しする者にしてくださるのだそうです(Ⅰペテロ2:9~10)

 キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みもなく、神もない者でしたが、
キリスト・イエスの中にあることにより、イエスの血によって、
〔聖である霊〕と呼ばれる方において、
神の家族としていただき、
〔父である神〕のみもとにはばかることなく近づくことができ(エペソ2:11~22)、〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、その御思いを実現していく者にしていただけるのだそうです。主が良いと思われることをしていく者に。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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