上にあるものを求めて

お前たちは、ただ隣人や兄弟の間で互いに、

「主は何とお答えになりましたか。

主は何とお語りになりましたか」とだけ言うがよい。エレミヤ書23:35

 

 あなたがたは、

キリストと共に復活させられたのですから、

上にあるものを求めなさい。

そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。コロサイ書3:1

 

 ヨハネ20:11~18

 ルカ24:50~53(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/19;水)

 

 天の神、主が、ご自身に立ち返るよう、預言者エレミヤを通して、南ユダ王国に呼び掛けておられた時、主は、祭司や預言者たちに対して言っておられるのですね。

「彼らは、偽りと自慢話でわたしの民を惑わしている。

わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった。

預言者でも、祭司でも、民でも、『主の宣告(託宣、主のことば)』という者があれば、その者とその家とを、私は罰する」(エレミヤ23:32~34)と。

主から遣わされ、命じられていない者は、自分の考えで、勝手に、「主はこう言われる」と言わないで、「主は何とお答えになりましたか。何とお語りになりましたか」と言うべきだ、と。

 

 自分自身である〔生まれた時からの私〕という霊を、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて処刑されたもの、死んだものとしていただき、

墓に葬られ、三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活されたイエスに合わせていただいて、イエスと共に復活したもの、

天の神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いをわが思いとして生きるようにしていただいた者、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を自分の新しい霊として生きるようにしていただいた者は、

上にあるもの、〔父である神〕の御思いを求め、御思いが自分を通してなっていくことを求める者になっていくようですね。

 

 復活したイエスに最初にお目にかかったマグダラ出身のマリヤのように、主が「告げよ」とおっしゃられたことを、自分の考えを差し挟まないで、そのまま伝える者に(ヨハネ20:17~18)。

そして、神の御業、〔聖である霊〕と呼ばれる方の働きを見、共にいて、喜びをもって神をほめたたえる者に(ルカ24:52~53)。

今日も。

 

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