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本国へ帰るのですね。その時まで

私はこの地では

宿り人にすぎない。詩編119:19

 

 私たちの本国は天にあります。

そこから主イエス・キリスト

救い主として来られるのを、

私たちは待っています。フィリピ書3:20

 

 ガラテヤ書2:16~21

 ルカ19:11~27(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/18;土) 

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方によって、

「われわれのかたちとして、われわれに似せた者を」と望まれて創造された私たち人間(創世記1:26新改訳)。

 

 しかし、自分が神に取って代わろうとして、

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって(創世記3:5、22)、

神に背き、創造の目的からずれてしまい、的外れになっている私たちの〔生まれたときからの私〕という霊。

その、出来そこないになって、滅びに向かっている私たちを、

天の神、主は、なお、愛し、惜しんで、回復の道を用意してくださっているのだそうです。

 

 〔御子である神〕が、天の栄光の座を後にして、人として人の世に来てくださり、私たちの身代わりになり、私たちの〔的外れ〕の責任をご自身に負ってくださって、神に反逆した者、神に呪われた者となって十字架刑での処刑を受けてくださって、私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです(ガラテヤ2:19~20)。

 

 そのうえで、新しい霊として、受け入れる者に、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって、

受け入れる者の心に、〔父である神〕が一人一人に思っていてくださる御思いを置き、書きしるしてくださるのだそうです(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、受け入れる者は〔父である神〕と思いを一つにし、心を一つにする者としていただけて、

神に生きる者、

「われわれのかたちとして、われわれに似せて」いただいた者として、

イエスが言われる、

「それは、父よ。あなたがわたしにおられ、私があなたにいるように、彼らもわたしたちにおるようになり、彼らが(わたしたちと)一つになる」(ヨハネ17:21~23)者としていただけるようです。

 

 イエスは言われました。

「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。

わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです」(ヨハネ12:26)と。

 

〔聖である霊〕と呼ばれる方は、私たちを「子としてくださる御霊」、神の子の身分を与えてくださる方。

それで、私たちもこの方によって〔父である神〕を「お父さん」と呼べる身分を与えていただけて、

イエス様と共にいて、

天の御国を相続する者(ロマ8:14~17)、天の御国の国籍を持つ者ともしていただけるのだそうです。

 

 十字架に架かられ、死んで墓に葬られ、

三日目、日曜日の早朝、墓から、新しい霊のからだに復活され、

40日に渡って何度も弟子たちに現れ、弟子たちと過ごされた後、

オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスは、

〔父である神〕が定められた時に、

受け入れている者たちを迎えに、再び、来られるのだそうです。

 

 その時まで、

「これで商売をしなさい」と1ミナ(給料100日分)を預けられ、王位を受けて帰る主人を待つしもべのように(ルカ19:11~27)、

イエスが王として来られるのを待つのですね。

託されているものを活用しながら。

今日も。

 

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