生ける水が、その腹から、大河となって流れ出るのだそうです。

キリストが私たちのために死んで下さったことにより、
  神は私たちに対する愛を示されました。ロマ書5:8(2/21の週の聖句)
 
大河とその流れは、神の都に喜びを与える、
  いと高き神のいます聖所に。
 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。詩編46:5~6
 
 
キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、
  霊の働きによって神の住まいとなるのです。エフェソ書2:22
 
 新しい都には、水晶のように光るいのちの水の川があるのだそうです。
その川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れているのだそうですね(黙示録22:1~2)。
 
 イエスは、仮庵の祭りの最終日、シロアムの池から汲んだ水を神殿の祭壇に注ぐ日に、大声で叫んで言われたのだそうです。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その腹から(口語訳)、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37~38)と。
 
 やがて、イエスは、十字架に架かって死なれ、墓に葬られ、三日目、日曜日の早朝、復活され、40日にわたって何度も弟子たちに現れて、御自身が確かに生きていることを見せたうえで、弟子たちの見ている前で、オリーブ山から天の父である神の右の座に帰られたのだそうです。
 
 そのイエスが、父である神の右の座にあって、受け入れる者に派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方。
この方をお迎えする者の腹からも、大河のように、この方の働きが流れ出すのだそうです。
 
 そして、身体の多くの肢体が、一つのからだとして、脳の指令のとおりに調和のとれた動きをするように、受け入れる者は、この方の働きによって、父である神の御思いのとおりに働くものとしていただき、一つからだ、神の御住まいと呼ばれるようにしていただけるのだそうです。
 
「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、父である神が、今、私に対して持っておられる御思いを心に置いていただいて、一つ思いとしていただき、御思いのように生きる、御思いを実現する一日としていただけるのだそうです。
今日も。
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