栄光と誉れも、私たちと一緒にしたいと思っていらっしゃるようですね。あの方。

御前に進み、感謝をささげ、
楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
主は大いなる方。
詩編96:2~3
 神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主。...
唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、
誰一人見たことがなく、見ることのできない方です。
この神に誉れと永遠の支配がありますように
。Ⅰテモテ6:15~16
   (ローズンゲン日々の聖句9/21;月)
 大いなる方。このような素晴らしい方が、御自分と一つになる者をと願って私たちを創造して下さったのだそうです。
この方と思いを一つにしていくなら、愛と憐れみにおいて、義と正しさにおいて、大いなる御力において、大いなる御業、栄光において、この方と一つになっていくよう、願われ、求められ、造られたのだそうですね。  
 それでは足らないとして、サタンの誘惑に乗せられて、もっと「神のようになり、善悪を知るようになろう」(創世記3:1~6)とし、いよいよ、「善悪を知る」者の道を進むのか(創世記3:22)、それとも、イエスの十字架刑での処刑を私の処刑としていただき、処刑が完了した者とみなしていただいて、復活し、天の父の右の座に着かれたイエスが派遣して下さる、聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、天の父と呼ばれる方の、私に関わる御思いを、心に置いていただき(エゼキエル36:26~27)、この方と、私に関わる部分で一つ思いにしていただき、天の父と呼ばれる方が御子イエスにおられ、御子イエスが天の父にいるように、聖である霊と呼ばれる方が私たちにいて下さり、私たち一人ひとりが聖である霊と呼ばれる方の中にいる(ヨハネ17:21~22)ようになる生き方をいただいていくのか、ということなのだそうです。
天の父と呼ばれる方は、御子イエスは、聖である霊と呼ばれる方は、私たちが、この新しい生き方を受け取って、ご自分たちの一つの中に加わって欲しいのだそうです。
栄光についても。
今日も。
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