生き生きと生きて欲しいのだそうです。私たちに。あの方。


あなたはわたしを陰府(よみ)に捨ておかれない。詩編16:10 

パウロの手紙:
 私はなんとみじめな人間なのでしょう。
 死に定められたこの体から、だれが私を救ってくれるでしょうか。...
私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。ロマ7:24~25

      (ローズンゲン日々の聖句9/14;月)
  
  善をしたいと願いながら、それを実行することがなく、したくない悪を行っている私たち人間の現実。パウロはそれを、「死に定められた体」と呼んでいるようです。
  あの方は、そのような私たち人間を陰府(よみ)に落ちていくままにはされないで、救いの道を用意して下さったのだそうです。
  天地創造を一緒にされた御子である方を、人間イエスとして人の世に生まれさせ、この方が33歳のころ、すべての人間の身代わりとして、この方を十字架刑で処刑して、天と地の間に掲げて呪われたものとしてさらしものにし、私たち、すべての人間を処罰済みとしての手続きを完了して下さったのだそうです。
  それで、この手続きを受け取った人は、もう、罰せられる罪は残っていないことにして下さるのだそうです。
  さらに、その上に、もう一人の救い主「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる人のうちに派遣して下さって、この方によって、ご自身の御思いを私たちの心に置いて下さり、私たちがご自身と同じ思いを思う者にして下さって、ご自身と一つ行動をとる者にし、生きる者にして下さるのだそうです。
それで、私たちは陰府に捨ておかれる者ではなく、あの方と一つ思いを持って、生きる者にしていただけるのだそうです。

 私たちもこの詩篇の作者のようにうたうものになるのだそうですね。
 「私はいつも、私の前に主を置いた。
 主が私の右におられるので、
 私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、
 私のたましいは楽しんでいる。
 私の身もまた安らかに住まおう。
まことに、あなたは、私のたましいを陰府に捨ておかず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、
あなたの右には、楽しみがとこしえにあります」(詩篇16:8~11新改訳)と。
 今日も。

 

 

 

 


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