喜びと賛美の心に満たされて

主の神殿の基礎が据えられたので、
 民も皆、主を賛美し、大きな叫び声をあげた。エズラ記3:11

 信者たちは毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
 家ごとに集まってパンを裂き、
喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、
 民衆全体から好意を寄せられた。使徒2:46~47

      (ローズンゲン日々の聖句9/2;水)

 天の神、主の約束のとおりに、70年が過ぎて、バビロンの捕囚から帰って来た人たちは、エルサレムの神殿再建に取りかかったのだそうです。
  そして、神殿の基礎が据えられた時、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでイスラエルに」と歌い合い、大声で喜び叫んだのだそうです(エズラ3:8~15)。

 永遠の昔から、父である神と呼ばれる方と共におられ、人間の創造、そして人間の住まいとしてのこの天地、宇宙の創造に関わられた神の御子と呼ばれる方が、人間イエスとして人の世に生まれられ、およそ33歳のころ、私たちすべての人間の身代わりとなり、すべての人間のそむきの罪を御自身に背負って十字架刑で処刑されて下さり、私たち人間の内に、聖である霊と呼ばれる方が来ることができるようにして下さったのだそうです。

 墓にほうむられ、三日目、日曜日の早朝、墓より復活したイエスは、40日に渡って弟子たちに何度も現れ、語られ、教えられたのだそうですが、いよいよ、天の父である神の右の座に帰られるとき、弟子たちに言い置かれたのだそうです。
 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。もう間もなく、あなたがたは聖霊のバブテスマを受けます」(使徒4~5)と。

 それから10日後のペンテコステ(五旬節)の日、その約束を待ち望んでいた弟子たちに、
 突然、その約束の聖である霊と呼ばれる方が来られ、弟子たちは、この方が話させて下さるとおりに話しだしたのだそうです。 

 このようにして、「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる」(エゼキエル36:26~27)との約束が実現し、「キリストの教会」と呼ばれる、「聖である霊」と呼ばれる方が住まわれる弟子たちの集まりが始まったのだそうです。
そのときも、天の神、主を賛美する賛美の歌が大きく歌われていたのだそうですね。

 2000年の時を経た今日も、この「聖である霊」と呼ばれる方が来られるところ、わたし私たちの心が天におられる方に向けられ、賛美の心が涌きあがって来るのだそうです。


それで、私たちも置かれているそれぞれの場所で、この方をお迎えし、喜びと賛美の心に満たされながら歩むようになるのだそうです。

今日も。


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