向き直って、帰って来て欲しいのだそうです。あの方。私たちに。

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。
マタイ25:40
      (今週の聖句)
 わたしは慈しみ深く、
とこしえに怒り続ける者ではないと、主は言われる。
ただ、お前の犯した罪を認めよ。
お前は、お前の主なる神に背いた。
エレミヤ3:12~13
 主は、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、
あなたがたのために忍耐しておられるのです
。Ⅱペテロ3:9
     (ローズンゲン日々の聖句8/30;日)
 天の神、主は、一人の乙女が一人の男と愛を誓い合い、心のすべてを互い人明かし合い、思いを一つにし、心を一つにしながら一緒に住むように、ご自身と思いを一つにし、行動を一つにし、存在を一つにする者になって欲しいと私たち人間に願っておられるのだそうです。
 私たち人間は、始祖アダムが、その天の神、主との一つになることよりも、自分が神の一人のようになり、自分の理性の判断を神様の理性よりも優れたものにしようとし、自分一人で善悪を裁定する者になって以来(創世記3:22)、その性質を受け継いでいます。
 そのような私たちを、天の神、主は、なお、ご自身と一つになる者にと、求め続けていて下さるのだそうです。
 南ユダ王国のヨシヤ王(紀元前640~609在位)のとき、天の神、主は、預言者エレミヤを通して言われたのだそうです。
「あなたは、背信の女イスラエルが行ったことを見たか。
彼女はすべての高い山の上、すべての茂った木の下に行って、そこで淫行を行った。
わたしは、彼女がすべてこれらのことをしたあとで、わたしに帰って来るだろうと思ったのに、帰らなかった。
また裏切る女、妹のユダもこれを見た。
背信の女イスラエルは、姦通したというその理由で、わたしが離婚状を渡してこれを追い出したのに、裏切る女、妹のユダは恐れもせず、自分も行って、淫行を行ったのをわたしは見た。
彼女は、自分の淫行を軽く見て、国を汚し、石や木と姦通をした。
このようなことをしながら、裏切る女、妹のユダは、心を尽くしてわたしに帰らず、ただ偽っていたにすぎなかった。
――主のみ告げ――
 背信の女イスラエルは、裏切る女、ユダよりも正しかった。
行って、次のことばを北のほうに向かって呼ばわって言え。
『背信の女イスラエルよ。帰れ。
――主のみ告げ――
わたしはあなたをしからない。
わたしは恵み深いから。
――主のみ告げ――
わたしは、いつまでも怒ってはいない。
ただ、あなたは自分の咎を知れ。
あなたは自分の神、主に背いて、
すべての茂った木の下で、
他国の男と勝手なまねをし、
わたしの声を聞き入れなかった。
――主のみ告げ――
背信の子らよ。帰れ。――主のみ告げ――
わたしが、あなたがたの夫になるからだ。
その日、ユダの家はイスラエルの家といっしょになり、
彼らはともどもに、北の国から、わたしが彼らの先祖に継がせた国に帰って来る』」(エレミヤ3:6~14、18新改訳)と。
 
 天の神、主は、私たちを一人も失いたくないのだそうですね。
皆が、心を御自分のほうに向き直って帰って来るよう、裁きのときを遅くして待っておられるのだそうです。
 ご自分の側で用意した、イエスの十字架刑での処刑を自分自身の処刑と受け取り、すべての罪の処分が終わった者としていただき、もう一人の救い主、「聖である霊」と呼ばれる方を心にお迎えして、弱い者、小さい者を心に留め、思いやる、ご自身の思いと一つになって生きていってほしいとおっしゃっておられるのだそうですね。
この新しい週。
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