あなたから離れず、あなたを置き去りにしない、のだそうです。あの方。

 銀を愛する者は銀に飽くことなく、
富を愛する者は収益に満足しない。
これまた空しいことだ。
コヘレト5:9
 金銭に執着しない生活をし、...
今持っているもので満足しなさい。
神ご自身、
「わたしは、決してあなたから離れず、
決してあなたを置き去りにしない」と言われました。
ヘブル13:5
              (ローズンゲン日々の聖句6/12;金)
 
 この世界とその中に満ちるものすべてについて、
これらはわたしのものであるとおっしゃる方が、一緒にいてくださるというのですね。
 金銭を愛する者であり、金銭がもう少しあると、もっと自由に、自分のしたいことができるのにとか、
子どもたちにもしたいことをさせてやれるのに、とか、思いますよね。
 働かないで収入を得て、その時間を自由にできる方法、とかいう案内に心、動いてしまいます。
 
 でも、確かに、収益をあげれば上げるほど、さらに、さらにと際限なく求める、
満足することを知らない者になるのでしょうね。
 
 イエスは、「日毎の糧を今日も与えてください」と祈るようにと弟子たちに教えられたのだそうですが(マタイ6:11)、豊かに持っている方が一緒にいてくださるなら、今日の分を今日いただければ、それでいいのでしょうね。
 
 イスラエルの民が、エジプトを出て、約束の地に入るまでの、荒野での40年の生活において、
天の神、主は、天からのパン、「マナ」によって民を養われたのだそうですが、
与えられたのは一日分、一日分だったのだそうです。
主の言葉を聞かずに、二日分、三日分を集めようとした者もいたようですが、
その分は虫がわき、悪臭を放ったのだそうです。
朝ごとに、各自が、その日に食べる分だけ集めたのだそうです(出エジプト16:1~21)。
 
 問題は、天の神、主と呼ばれる方が、本当に一緒にいてくださるのか。
そして、具体的に、必要な物を本当に与えてくれるのかということなのでしょうけれど、
あの方は言われるのですね。
「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを捨てない、置き去りにしない」と。
 
 さらに、イエスは言われます。
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、明日のための心配は無要です。あすのことはあすが心配します」と(マタイ6:31~34)。
 今日も。
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