魂を救うことができる言葉なのだそうです。

悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。
イザヤ書55:7

 
 あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、
心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。

この御言葉は、
あなたがたの魂を救うことができます。
ヤコブ書1:21
 
              (ローズンゲン日々の聖句6/1;月)
 
 あの方はご自身の御思いに心を向けて欲しいと思っていらっしゃるようですね。
 
それで、
「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い。
金のない者もさあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
なぜ、あなたがたは、食料にもならない物のために金を払い、
腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
耳を傾け、わたしのところに出て来い、
聞け。をうすれば、あなたがたは生きる。」(イザヤ55:1~3)
と仰っておられるのですね。
お金はご自分の方で支払ったうえで。
 
 また、言われます。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8~9)と。
 
 「善悪を知る者となった」(創世記3:22)私たち、生まれたときからの霊から出て来る思いは、どうあがいても、自分を少しでも高め、良い者にして、天の神、主に対抗して、自分をこの方よりも上にしようとする思いであり、それで、自分が他の人よりもすぐれた者にならないと気が済まない思いなのでしょうが、あの方の思いは、私たちの思いとは違うからとおっしゃるのですね。
 
 あふれるほどの悪、生まれたときからの霊という私から出て来る思いを、イエスの十字架刑で処刑済みの私から出て来るものだと認めて、イエスの御前に投げ捨て、イエスに受け取っていただいて、聖である霊と呼ばれる方が私たちの心に置いて下さる天の神、主の御思いに心を向けて欲しい、今日、わたしがあなたを通してしようと思っている計画をわたしと一緒に実行して欲しい、一緒に歩もうと仰っているようですね。
天の神、主は。
今日も。
イメージ 1