あの方の憐れみ深い思いが、私たちの心にも来るのだそうです。聖である霊と呼ばれる方によって。

正義と真理に基づいて裁き、
互いにいたわり合い、憐れみ深くありなさい。
ゼカリヤ書7:9
 
 憐れみ深い人々は、幸いである。
その人たちは憐れみを受ける。
マタイ5:7
 
          (ローズンゲン日々の聖句5/27;水)
 
 天の神、主は憐れみ深い方なのですね(ルカ6:36)。
それで、私たち人間にも憐れみ深くあって欲しいと願わるようです。
 
 断食をし、熱心に宗教行事を行うよりも、正しい裁きを行い、互いに誠実を尽くし、憐れみ合うこと、
やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげないこと、
互いに心の中で悪をたくらまないことを喜ばれる方のようです(ゼカリヤ7:5~11)。
 
 そして、この方の憐れみを受けた者が、自分の周りの人々に憐れみ深い行動をとることが出来るようになるようですね(マタイ18:21~35)。
 自分の中からは、憐れみの心のかけらも出て来ないものであることを知って、イエスの十字架刑での処刑を私の処刑として下さるとの提案を受け入れて、イエスの十字架刑での処刑に私も合わせていただき、
生まれたときからの私という霊は処刑された者と認めて(ロマ6:11)、
 三日目に墓より復活し、天の父と呼ばれる方の右の座に着かれたイエスが派遣して下さる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、父である方の御思いを私の心にも書き記していただくとき、
私の心にも、憐れみ深い思いが来るようになるのだそうです。
 天の神、主が、私たち一人ひとりを憐れんで下さって、このようにして下さっているのだそうです。
今日も。
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