思いを一つにし合うあいだがらに入れていただけるのだそうですね。私たちも。

主は世界中至るところを見渡され、 御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。歴代誌下16:9

キリストの言葉: わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている。黙示録2:2

                (ローズンゲン日々の聖句4/24;金)

 御自分と心を一つにする者を探し求めておられるのですね。あの方は。世界中から。 御自身のほうでも、私たち人間と心を一つにしようと思っていて下さって、

私たちの全部を知っていて、解っていて下さるのですね。

 それで、すでに知っていることではあるのですが、

私たち人間の側から持って来て、知らせてくれることを喜ばれるのだそうです。

 イエスによれば、イエスが父と呼んでおられる方とイエスとの関係は、

「あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいる」、一つになっている関係なのだそうです(ヨハネ17:21)。

そして、私たち人間の一人ひとりがあの方々におり、

あの方々が私たち人間の一人ひとりの中にいるようになって下さるのだそうです(ヨハネ1722~26)。

  「初めからこれらのことを話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。

しかし今わたしは、わたしを遣わした方のもとに行こうとしている」ので話しておくのだとおっしゃらるのですね(ヨハネ16:4~5)

  「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)とおっしゃられ、

その御思いのとおりに造られた私たち人間が(創世記1:31)、

最初の人、アダムの離反によって的はずれのものになってしまったのだそうですが(創世記3:22)、

これからなされようとしているイエスの十字架刑での処刑と、

それによって実現する聖である霊と呼ばれる方が私たち人間の一人ひとりの内に来て下さって、

父である方の御思いを私たち一人ひとりの心に書き記して下さるという、そのことによって、

あの方々の中に私たち人間の一人ひとりがいるようになり、私たち人間の一人ひとりの中にあの方々がいて下さるようになるのだそうです。

 愛し合う者どうしは、

お互いが思いを見せ合い、知らせ合って、一つ心になっていくのだそうですね(ヨハネ17:26)。 今日も。

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