生きて、働いておられる方なのだそうです。あの方。

千年といえども
御目には、昨日が今日へと移る夜のひと時にすぎません。詩編90:4

 


キリストの言葉:
 恐れるな。...
わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。
 一度は死んだが、
 見よ、世々限りなく生きて、
 死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:17~18

 

 

        (ローズンゲン日々の聖句4/6;月)

 

 

 

 私たち人間にとっては、千年は長い期間ですが、
 天の神、主にとっては、まるで夜のひと時のようなのだそうです。
なぜなら、この方は最初の者であり、最後の者、
 天地の造られる前からおられ、
 御思いのままに、この天地、宇宙を、そして、人間を造られた方。

 


 十字架刑によって一度は死なれた方。
けれども、三日目に墓から復活された方。
 世々、限りなく生きておられる方。

生きている者も、死んだ者も、この方の前に出て、
 言い開きをすることになるのだそうです。
 一人一人がそれぞれの仕業に応じて
公平に裁かれることになるのだそうです。

 


 その御座に着いておられる方は、
 私たち人間の罪を背負って十字架刑で処刑された方、
ほふられた小羊とみられる方なのだそうです。
 私たちは、この方の血潮の覆いのもとで、
 受けるべき刑罰を過ぎ越すのだそうです。

 


 そればかりか、聖である霊と呼ばれる方が私たちの内に来られて、
 天の神、主の、一人一人に関わる御思いを心に書き付けて下さって、
 天の神、主と心を一つにしてことに当たらせて下さるのだそうです。
 今日も。

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