生きるのですね。この方を仰ぎ見る者は

民はモーセのもとに来て言った。
 「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。
 主に祈って、私たちから蛇を取り除いてください。」
モーセは民のために主に祈った。民数記21:7


 

 


たとえ罪を犯しても、
 御父のもとに弁護者、正しい方、
イエス・キリストがおられます。Ⅰヨハネ2:1

 

            (ローズンゲン日々の聖句3/27;金)

 

 

 エジプトを脱出したイスラエルの民。
 天の神、主への不従順のゆえの40年の荒野での生活をすることになりましたが、その終わりの頃、向きを変えて出発し、いよいよ約束の地に向かっている頃のことでしょうか。

 


 民は、旅の途中でがまんできなくなり、神と指導者モーセに逆らって言ったのだそうです。
 「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ昇って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物(マナ:天から降って来てパンの原料になり、民を40年養った)に飽き飽きした」と。


 そこで神である主は、民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだのだそうです。

 


 そのとき、民はモーセの所に来て、このように言ったのだそうですね。
すると、神である主はモーセに仰せられたのだそうですね。
 「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。
すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる」と。

 


 そこでモーセは、言われたとおりに、一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけたので、蛇にかまれたその人がこの青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きることができたのだそうです。

 

 


 なぜ、天の神、主はこういうことをせよと仰ったのか。
この出来事から、およそ千数百年後に起こった、あのナザレ出身のイエスの十字架刑による処刑をあらかじめ表しているのだろうと考えられています。

 


 天の神、主は、モーセを通して「このように生きて欲しい」との思いを律法という形でイスラエルの民に示し、民はみな口をそろえて「私たちは主が仰せられたことを、みな行います」と答え、血が注ぎかけられ、天の神、主とイスラエルの民の間で契約が結ばれたのだそうです(出エジプト19:8、24:3~8)。

 


 しかし、民は、この40年の荒野での生活の中で、水がなかったり、肉が食べたくなったり、苦しいことが起こるたびに、神である主とモーセにつぶやき、モーセを殺してエジプトに引き返そうとさえしたのだそうです。

 


 天の神、主の、大きな恵み、憐れみの奇跡を目の当たりにしながら、なお、逆らい続ける民。けれども、なお、恵み、憐れみ、回復の希望を持ち続けて下さって、言われたとおりに旗ざおの先に付けられた青銅の蛇を仰ぎ見る者をいやし、生かして下さった。

 

 


 そして、神なく、望みなく生きる私たち異国人、イスラエルの民と同じように、御思いを示されてもそのように生きることができず、かえって、困難があるたびに「神なんかいるものか」とつぶやく私たち人間を救うために、今度は青銅の蛇ではなく、永遠の昔から共におられた愛する御子を人間の世界に生れさせ、十字架で高く掲げて処刑し、この方を仰ぎ見る者に、もう一人の方、妬むほどに愛しておられる聖である霊と呼ばれる方を派遣して、御思いのように生きる道を拓いて下さっているのだそうです。

 


 御子である方、イエスは、復活して天に帰り、御父の右の座にあって、私達のために弁護して下さるのだそうですね。
私たちの罪をご自身に全部引き受けて。
 今日も。

 

 

 

 

 


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