話そうとする言葉を預けて下さるというのですね。私たちにも。

わたしはあなたの口にわたしの言葉を入れ、
わたしの手の陰であなたを覆う。
イザヤ書51:16
 
 
恐れるな。
語り続けよ。黙っているな。
わたしがあなたと共にいる。
使徒18:9〜10
 
        (ローズンゲン日々の聖句3/26;木)
 
 天の神、主は、御自分が誰だかに語りたいことを
私たちの心の思いに入れ、
その思いを私たちの口を通して語られるようですね。
 
 旧い時代は、特定の人を選び、預言者として立て、
その人の口を通して語られたようですが、
聖である霊とよばれるもう一人の方が私たちの内に来られる今は、
私たち一人一人の口を通しても語られ、
互いに励まし合うようにしていてくださるようですね。
 
 あのペンテコステ(五旬節)の日、
それまで、捕まるのを恐れて、扉には鍵をかけ、
家の奥の方に身をひそめていた弟子たちが、
聖である霊と呼ばれる方が、弟子たち一人一人の内に来られると、 大胆に立ち上がり、
エルサレム中からかけ集まってきた多くの人たちを前に、
イエスによってなされた神様の御業を語りだしたのだそうです。
原稿を準備したわけでもなく、聖書が手元にあるわけでもないのに。
 
 そして、そのペテロたちの話しを聞いて、
イエスを救い主、主として受け入れ、バブテスマを受けた人が、
成人の男だけで3000人ほどだったのだそうですね(使徒2:41)。
 
 天の神、主は、
聖である霊と呼ばれる方を通して私たちの心において下さる御思いを、
恐れて黙り込んでいないで、大胆に語り続けて欲しいのだそうですね。
語り始めるとき、どのような、あの方の御業が起こってくるのか。
今日も。
 
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