さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。その小道を歩もう。

人の子が、仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。
マタイ20:28
       (今週の聖句)
 
多くの民が来て言う。...
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主は私たちに道を示される。
私たちはその道に歩もう」と。
イザヤ書2:3 
 
人々は、東から西から、
また南から北から来て、
神の国で宴会の席に着く。
ルカ13:29
 
          (ローズンゲン日々の聖句3/22;日)
 
 イエスの弟子たちにおいてさえも、最大の関心事は、
神の国が実現したとき、誰がイエスの右と左の座に着くのか
ということだったようですね。
 
 そこで、イエスは言われたのだそうです。
「異邦人の支配者たちは彼らを支配し、
偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
あなたがたの間では、そうではありません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、
みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、
あなたがたのしもべになりなさい」と。
 
 そして、イエスご自身が人間となって、人の世に来たのは、
人に仕えるため、多くの人の身代金(買い戻しの代金)として
自分の命を与えるためなのだと。
 
 人は、善悪を知る者となり、神のひとりのようになろうとして、
本性的に、
自分を他よりも少しでも高くしようとする者に なってしまっているのですね。
 
 イエスは、その逆で、
一番高い所におられたのに、その位に固執することなく、
低く低くなって、人間の世に生れられ、
人間の中でも貧しく、低くなられ、ついには大罪人、反逆者として処刑され、
罪人として地の深いところまで下られたのだそうです。
 
 イエスが、御自分の命を、私たち人間を罪から買い戻すための
身代金として献げて下さったことにより、
神の民、イスラエル人はもとより、
神なく、望みなく、約束とも縁のないものであった私たち異国人も、
神の国での宴会に招かれるようになっているのだそうです。
 
 それで、多くの人たちが言うのですね。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう」と。
東から西から、南から北から人々は集まっているのだそうです。
王が出してくれる礼服、「御子イエスの義」という衣を着て。
 
 さらに、聖である霊と呼ばれる方に覆われ、満たされて、
この方によって心に道を、御父の御思いを書き付けていただき、
その御思いのとおりに歩む者にしていただけるのだそうです。
 
 私たちも、「さあ、主の山、ヤコブ(イスラエル)の神の家に上ろう。
その小道を歩もう」と声を掛け合うのですね。
今日も。
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